あさって迎える「慰霊の日」は沖縄戦を見つめ直し、平和の尊さについて考える日です。そんな沖縄の特別な日にあわせて平和への思いをラップに込めた新曲をひっさげ、沖縄市出身のラッパー・Rude-αさんがスタジオに来てくれています。なぜ、曲をつくろうと思ったのか、歌の原点に迫りました。

Rude-αさん「ここですね。平良徳茂さん、ひいおじいちゃん。多分僕とおんなじ歳くらいの時に亡くなっているじゃないかな」

平和の礎にあるひいおじいちゃんの名前を案内するのは、若い世代を中心に絶大な人気を集める沖縄市出身のラッパー・Rude-α(25)です。

Rude-αさん「自分の人生を選択できないまま戦争に出て、亡くなっていった先祖がいるなかで、この空の下で笑ったり、泣いたり、怒ったりできる、自分がなりたいものになれる。本当に限りなく自由だなと思う」

慰霊の日になると彼は幼少のころからこの場所を訪れ、おばあちゃんと一緒に手を合わせてきました。

Rude-αさん「おばあちゃんが6月23日なったらここにきて、毎回(手を合わせて)泣くんですよ。だけど、子どもの頃なんてそういう意味も全然わからないから」

それでも、彼は歳を重ねるにつれて、おばあちゃんが流してきた涙の意味を考えるようになったといいます。そこで平和の大切さを訴える「うむい」という新曲が誕生しました。

『「争うよりも愛しなさい」と 忘れはしない おばぁの涙』

Rude-αさん「戦争ってこうだったんだよっていうのを生の声で聞ける最後の世代だと思ったんですよね。(僕の)生き方は音楽家だから、だからちゃんと音楽にして、今目の前にある、例えば優しく生きていこうとか平和を思うような心だったりとか、そういうのをちゃんと歌にしたいなと思って」

Rude-α 歌に込めた平和の思い

Rude-αのおばあちゃん、福地茂子さん。沖縄戦の年に生まれ現在77歳です。

福地茂子さん「これが一番似ているのこの目の膨れたところね」

Rude-αさん「自分ではあまりわからないですけど。確かに一応目とか似ているのかもしれない」

茂子さん「目なんか似ていますよ」「すごいハンサムで。縦笛が上手でね、夕方は腰かけ持ってきて笛吹いていたよっていうのをおばあちゃんから聞いていました」

茂子さんの父であり、Rude-αのひいおじいちゃんである平良徳茂さんは28歳の時、戦死しました。

沖縄戦の時、兵隊として伊江島に渡った徳茂さんは出兵前、必ず帰ってくると家族に告げていました。しかし、娘・茂子さんが生まれた直後にイカダで本島に帰ってこようとしていましたが、かないませんでした。そのため茂子さんは父の顔を見たことがありません。

茂子さん「(父は)すごい残念だったでしょうね。伊江島と本部ってもうすぐ目の前だから、絶対に帰れると思っていたんじゃないかねと私は思う。父親の遺骨なんてかえってきてないでしょ、お墓にあるのは海の側から拾ってきた石ですから。伊江島の見える浜で石拾ってきて、(墓に)入れたのは私も見ているから、こんなのは絶対忘れないですよ」

住民を巻き込んだ沖縄戦から77年、尊い命が犠牲になった教訓は生かされているのでしょうか。世界に目を広げると、今なお争いが続いています。

茂子さん「ウクライナとロシアのは見きれないから、胸が張り裂けんばかりになります。絶対やってはいけません、絶対に。戦争から何も生まれません。悲しいことばかりです」

Rude-αさん「一人でも多くの人に当たり前のことだけど、平和だったりとか、優しさだったりとか、そういう思いをつないでいって、世界を変えるような、変えられるようなきっかけになるような歌になったらいいなと思います」

Rude-α 歌に込めた平和の思い