51年前の12月20日未明、アメリカ軍関係者の交通事故に端を発した「コザ騒動」が起きました。当時、現場にいた人物に話を聞き半世紀以上が経った今、何が変わり、何が変わっていなかったのか?考えます。

安里嗣則さん「油の変な臭いですね。漂っていました」

51年前のあの日の様子を振り返るのは安里嗣則さんです。コザ高校や石川高校などで野球部の監督を務め、1965年にはコザ高校を甲子園に導きました。

あの日、職場の同僚との忘年会に出席し、二次会に繰り出そうと訪れたコザの街で、アメリカ兵の運転する車が道路横断中の男性をはねた事故を目撃します。

安里さん「基地内に逃がすなと叫んでいましたよ。基地内に逃がしたら終わりなので。囲んで取り囲んでいました、車を。板に上って、喋りました。(周りの人は)同調してくれました」

安里さんは、ある事件のことを思い出していました。この年の9月、糸満で飲酒運転をしていたアメリカ兵が女性をひいて死亡させる事故を起こします。しかし、軍法裁判での判決は無罪でした。

コザ騒動から51年 何が変わり 何が変わっていないのか?

安里さん「アメリカ軍はけしからんというのはみんな思っている。これに対する反発なんです。まずは何とか一つの区切りを打とうということで。瞬間にだからね。計画的なものは何もない」

軍へのこれまでの不満や怒りがあふれ出し、群衆を動かしたのが「コザ騒動」でした。群衆は数千人規模に膨れ上がり、憲兵らに石を投げ、車両をひっくり返し、火を放ちながら進みます。

アメリカ人の父と日本人の母を持ち、当時20歳だった大城貞夫さんはその様子を複雑な気持ちで見つめていました。

大城貞夫さん「夜中の1時半くらいに僕の友達が起きろ起きろって『貞夫、戦争が始まった』ということで急に起こされて」

友人と一緒に現場に立った大城さん、目の前に広がる光景が衝撃的だったと言います

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大城さん「向こうの胡屋方面から火の手が上がっているわけですよ、どんどん。人間の一つに向かっている時の血走った眼も含めて、本当に戦だなという感じがしました」

大城さんは群衆と一緒に山里方面まで進んできたとき、兵士が放った催涙弾を浴びます。

コザ騒動から51年 何が変わり 何が変わっていないのか?

大城さん「半分はやはり日本の旗を振りながら、ここにはどこかにアメリカの国旗も持っているっていう気持ちですよね。両方の気持ちが入り乱れているというか。怒りというよりは寂しい気持ちだったのかな」

コザ騒動では、アメリカ軍関係の車両82台が被害を受け、安里さんを含め、数十人の逮捕者が出ました。

騒動から半世紀以上が経ったものの、沖縄の現状を2人は何も変わっていないと感じています。

安里さん「辺野古の問題もあるけど、そのほかの問題もまだ山積していると思います。いがみ合いをしたり、戦争してはいけない。そこに話し合い持っていけるような政治家というのが誕生してほしい」

大城さん「色々な事件事故があると、またどこかで暴動が起こるんじゃないかっていう。(相手の違いを)理解する力、楽しむ力があると、二度とこう言った暴動どころか戦争もなくなっていくと思う」

復帰しても、終わることのない基地から派生する様々な問題によって、見えない「理不尽さ」と向き合うたび、抱える複雑な思い。沖縄は来年、復帰50年を迎えます。

コザ騒動から51年 何が変わり 何が変わっていないのか?