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さて、衝撃的な首里城の火災から一夜明け、どうすれば再びあの壮麗な姿を一日も早く取り戻すことができるのでしょうか。きょうは急きょ、中継で話をうかがいます。県立博物館美術館には、金城美優さんがいます。

金城美優キャスター「はい。ご覧いただいているのは琉球王国時代 首里城の中に置かれていた「万国津梁の鐘」です。焼失した首里城にはレプリカが置かれていましたが今回の火災でどうなったのか気になるところです」

「この鐘には、「琉球国は南海の素晴らしい場所にあり、中国と日本の間にあって万国の架け橋となる」ことなど、およそ560年前に造られた鐘は、琉球王国としての誇りが刻まれています。

ここからは今回焼失した首里城正殿などの復元に携わった県立博物館美術館の館長田名真之(だな・まさゆき)さんにお話をお聞きします。よろしくお願いします。

県立博物館美術館の館長田名真之(だな・まさゆき)さん

金城美優キャスター「首里城は沖縄戦によって焼失し、復帰20周年の年、1992年に、47年ぶりに復元されたものでした。そこには復元かけた人々の思いがありました」

赤瓦葺き職人 大城幸祐さん復元への思い

大城幸祐さん「もう本当に残念ですよ、夢のようでね。今回の事態に、心を痛める職人がいました。

大城さん「北殿の落成式。自分はここです。」比嘉「真ん中、棟梁ですもんね」大城さん「そうです」

赤瓦ぶきの職人、大城幸祐さん。復元工事では、棟梁として、今回の火事で焼けた北殿や奉神門の瓦施工に携わりました。

赤瓦ぶきの職人、大城幸祐さん。復元工事では、棟梁として、今回の火事で焼けた北殿や奉神門の瓦施工に携わりました。

大城さん「なかなか瓦のすり合わせが難しくて苦労しました。沖縄民家の瓦はおおざっぱな寸法が決まっていないですからね。物差しをもって兄弟みんなではかってふいていった。そうしないと、すり合いがうまくいかない」

那覇市首里に生まれ、首里で育った大城さん。3代目として家業を継いだ大城さんにとって、首里城の工事は特別なものでした。

大城さん「やっぱり横から斜めから見てもまっすぐいったのが気持ちがいいし、首里城だけは民間とは違います。見たら心が痛いですね。もう北殿はのこるかと思っていたけどダメですねこれから大変ですよ」

また、大城さんたちがふいた首里城の瓦には沢山の人の思いが託されていたといいます。

首里城の瓦にもみんな名前を書いてありますよ。

大城さん「首里城の瓦にもみんな名前を書いてありますよ。だからもったいないよ後ろに寄付した人の名前を書いて、ふいた」「瓦の裏には、復元工事に寄付した人たちの名前が記されていました。」Q職人の名前も?「みんな入っています大城さんも?入っています」

去年、美福門を完成させるまで、屋根に上がっていたという大城さん。沖縄の文化財独特の工程を後輩たちにも伝える使命があると語り、こう話しました。

大城さん「また次のも見たいです。元気なうちに見たいですよ。沖縄のひとつの象徴ですから」

沖縄のひとつの象徴ですから