新型コロナ感染拡大の影響で、語り部が自分の経験を話して聞かせる平和学習を行うことが難しくなっています。そうした中、石川宮森630会は、今回初めて中学生にむけて、リモートを取り入れた講演を行いました。

石川・宮森630会 久高政治さん「3~4人の子どもがほんとに火だるまになって、叫び声を挙げて飛び出してきてると、本島に全身大やけどで、水のみ場に駆けつけてそこでばたっと倒れると。」

宮森ジェット機事故 リモート取り入れて伝える

1959年6月30日、宮森小学校にエンジントラブルを起こしたアメリカ軍のジェット戦闘機が墜落し、児童11人と周辺住民6人の命が奪われました。事故当時、小学校はミルク給食の時間で、楽しいひと時は、一瞬にして地獄に変わりました。

石川・宮森630会 久高政治さん「この傷跡がくっきり残ってるわけ。本人からすると小指がないっていうのも、普通生活してる中でも常に意識することだし、ほんとにこの人からすると、62年たっても今でも、この人から事故が消えるってことはないわけさ。」

当時小学5年生で事故を目の当たりにした、石川・宮森630会の久高政治さんは、62年前の悲劇が二度と繰り返されないよう、被害者の証言をまとめたり、学校をまわって講演したりしています。

そうした活動も去年から陰りが出始めました。新型コロナの感染拡大によって、満足に活動できなくなり、学校での講演が激減しました。例年は、慰霊の日を迎える6月を中心に12校ほどまわっていましたが、去年はわずか2校にとどまっています。

久高さんは、事故が風化してしまうのではないかと強い危機感を感じています。コロナによる苦境を打開しようと、講演会を実施することに踏み切ったのです。久高さんの初めてのリモート講演は、宜野湾中学校でした。

宮森ジェット機事故 リモート取り入れて伝える

宜野湾中学校・平和教育担当教師「ここすぐそばにも、毎日ヘリコプター・オスプレイ飛んでるのが授業しながらもみえて、それのイメージと、実際に悲惨なことが宮森小学校で昔あったということ、その辺のことが合致して、今回お願いしようということになっています。」

石川・宮森630会 久高政治さん「勝手がわからんから、なんて言うか今、戸惑ってる。」

すこし緊張した面持ちで久高さんは、会場となる3年生の教室に入ります。この様子が、3年生のほかのクラスや1年生と2年生の教室に中継されました。沖縄戦から14年後の大惨事、犠牲になったのは戦後の未来をつくっていくはずの子どもたちでした。

石川・宮森630会 久高政治さん「希望を断ち切られた、夢を断ち切られたこういう子どもたちがいるし、大けがをして、この傷をまだ背負っている人もいる、子どもを失った父母の悲しみ、親兄弟を失った家族の悲しみ、それもまたあわせて考えて、思い起こしてほしいなと。」

久高さんの話を直接話を聞いた生徒も、リモートで聞いた生徒も、どちらも真剣な様子で、62年前に沖縄で起こった悲惨なジェット機事故へ思いをはせ、平和とはどんなものなのかを考えていました。

直接講和を聞いた女の子「(宮森小学校の事故が)他人事だとは思えなかったし、(事故にあった子供たちが)かわいそうだと思って。少しづつでも米軍基地が減って、こんな事故がなくなってほしいなって思います。」

リモートで聞いた女の子「沖縄県にもオスプレイとかがあるから、自分たちに近い環境なので、身近な話が聞けて恐ろしいなって思いました。」

宮森ジェット機事故 リモート取り入れて伝える

石川・宮森630会 久高政治さん「過去に起こったものっていうのは、しっかりとらえたうえで、いまどういう風にして生きていくのかということを、やっぱり子ども達には考えてほしいし、そういう問いかけをする、ヒントを与えるのが僕らの講話の意義かなと私は常に思っていますけどね。」

コロナ禍でも伝えていかなくてはいけないことがある。平和とは、戦争とは何なのか、薄れていく記憶を途切れさせることなく次の世代に伝えていくため、語り部の活動にも、新たな継承の形に可能性を見出しています。