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こちらの写真をご覧ください。子どもを抱く女性、一見ビーチを歩くだけの光景に見えますが、後方には軍車両があります。これは今から76年前の1944年ごろ、サイパンで撮影されたものです。沖縄戦が始まる1年前、多くの県出身者が移民した太平洋の南洋群島でも凄まじい戦いが繰り広げられていました。その戦争を伝える貴重な写真がきょうから一般公開されています。

サイパン・テニアンの戦争 米軍撮影の写真320点公開

こちらはアメリカ兵と幼い子どもの写真。ほほえましい一枚にも見えますが、2人の間には収容所の有刺鉄線があります。

これらは戦争中にアメリカ軍が撮影した320点。アメリカ国立公文書館が保管していたものです。

サイパン・テニアンの戦争 米軍撮影の写真320点公開

県公文書館・仲本和彦班長「サイパンとかテニアンとか、たくさんの沖縄県系人が同じように戦争を体験されてる。その写真とか動画が実は県内にほとんどなくて、当時の状況を知るすべがない」

こちらは地中から救い出される子どもの写真。次の1枚は、アメリカ兵に父親が何かを説明している様子に変わります。その内容はというと…。

サイパン・テニアンの戦争 米軍撮影の写真320点公開

県公文書館・仲本和彦班長「(米軍から)尋問を受けて、米軍に囚われたら首を切られるという風に自分たちは(日本兵から)信じ込まさせられていたという説明してる様子」

足を負傷した女性を背負って歩く男性。この写真は、戦場を命がけで生き延びた人々の記録です。

県公文書館・仲本和彦班長「家族で命がけで戦場で米軍に投降してきた様子がこういう写真でわかる。キャンディーを口で柔らかくして与えてるとありますが、必死に生き延びてほしいことでお父さんが介抱している様子なのか、戦場での瞬間瞬間、生きてる様子というのが良くわかる写真」

県公文書館・仲本和彦班長「当時そこに住んでた方々にとっての記録の意味というのは、我々が想像するより遥かに超える意味があるんじゃないかと」

取材の途中、偶然、当時サイパンに住んでいたという男性に出会いました。宮城重治さん。サイパンで生まれた宮城さんは8歳のときに太平洋戦争に巻き込まれたと話します

当時8歳の宮城重治さん(85歳)「壕の中から出てきなさい、出てきなさいということで、仕方ないからみんな出ていったら、浜に連れられて行ってそこで収容されたということです。(収容所は)厳しかったですね、とにかく小さい子どもだから良くわからないんですけどね。(写真を見て)なんて言ったらいいかな、あの頃の事を思い出して、ちょっと胸が痛いですね」

宮城さんは戦争が始まると収容所に入れられ、強制的に沖縄に引き上げさせられたといいます。

県公文書館・仲本和彦班長「当時の状況はわからないことが多くて、こういう記録があることによって、それを我々が勉強して知る機会のきっかけになればいいかと思います」

サイパン・テニアンでの戦争を伝える写真は、沖縄県公文書館で公開されています。

サイパン・テニアンの戦争 米軍撮影の写真320点公開