Qプラスリポートです。沖縄本島から東におよそ360キロ、サトウキビの島、南大東島で先日、年に一度の祭りが開催されました。人々が受け継ぐ、県内でも珍しい文化がそこにはありました。

今月22日。南大東島はこの日、島一番の祭りを前に浮きたっていました。そろいのはっぴに、はちまき姿。沖縄本島にはない、大東ならではの「豊年祭」です。

開拓民の文化受け継ぐ 南大東の豊年祭

仲田建匠村長「南大東は開拓の由来でずっと神輿と神社があって、地域文化があって、開拓の名残で神輿を担いで奉納する文化が根付いているんです」

開拓と独特な島の祭り。その歴史を紐解くヒントが、毎年祭りの先頭を飾るこちらの皆さんにありました。

大東糖業 新垣好伸事業所長「島をあげての豊年祭ですが製糖工場にとってもサトウキビの豊作を祝う祝いですので製糖工場にとっては本当に大事な豊年祭です」

今からおよそ120年前の1900年(明治33年)。東京・八丈島出身の実業家、玉置半右衛門が上陸したことによって、無人島だった島は、サトウキビ栽培によって拓かれていきます。

以来戦後まで、島は、製糖工場が島を所有し経営するという、珍しい歴史を辿ります。同時に、島では開拓民の出身地、八丈島の風習が色濃く残された文化が受け継がれてきました。南大東島の豊年祭は、まさにサトウキビの豊作を祝う祭り。

開拓民の文化受け継ぐ 南大東の豊年祭

神輿の行列では、現在島で基幹産業を支える製糖工場、「大東糖業」が、先頭を務めるというわけです。

池田浩工場長「島の開拓当時から、大東糖業の前進の製糖工場が中心になって豊年祭をやった歴史があるのでうちとしても非常に大事な祭りだと思っていて、率先して先頭に立ってやりたいと思っています」

祭りの始まりを告げるのは、神輿。目指すは島の鎮守、大東神社です。一番大きな大東糖業の神輿に、6つの字の神輿や子ども神輿が続きます。島外からこの日のために集まった人で日常にはないにぎわいを見せます。

また、山車に姿を変えたのは、日ごろサトウキビ畑を耕すのに使われているトラクター。元気なお囃子隊を乗せて進みます。威勢のいい掛け声とともに、神輿が境内にやってきました。さあ、ここからが迫力満点の、祭りの見どころです。

開拓民の文化受け継ぐ 南大東の豊年祭

担ぎ手たちが勢いよく参道を駆け上がっていきます。すべての神輿がそろったら、宮司によるお清めの儀式が執り行われます。先ほどまでの激しさとはうってかわって、荘厳な雰囲気の中で無事、儀式が終わりました。神社への奉納を済ませると、神輿や山車は再び集落へ。

豊年祭は1年に一度、大人から子どもまで誰もが心躍る日です。

祭りの参加者「1年の中で一番うれしいお祭りです」

沿道の人「沖縄のエイサーと違ってこれが当たり前なので。ヤマト文化と沖縄文化」

男の子2人「ワクワクするし、楽しい。大人になったら神輿担ぎたい重たいものとかそんなのがハマりそうだから」

団体「(Q.みなさん豊年祭はどうですか?)サイコー!」

日が暮れ、提灯に火がともるころ。村々を練り歩いた大東糖業の神輿が工場に帰ってきました。

開拓民の文化受け継ぐ 南大東の豊年祭

大東糖業社員「けっこうげっそりですが、やっぱり最後まで持ってると爽快感ありますね。この祭りをこれから先も続けて村全体が活気あるように続けていきたいと思います」

新垣所長「( Q今年はこれでもう豊作ですか?)はい!来期製糖は11万トン間違いなし!ありがとうございました!」

サトウキビの島、南大東島の歴史と文化が息づく豊年祭。賑やかな声は夜遅くまで響きました。