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平成の時代から令和の時代に元号が変わる中、沖縄にとって平成とはどんな時代だったのでしょうか。きょうはことし6月に会館30周年を迎える「ひめゆり平和祈念資料館」の元館長本村つるさんに天皇とひめゆりについてお聞きしました。

修学旅行の女子生徒「初めて戦争の怖さを知った。戦争がどれだけ人を傷つけて、環境も傷つけるか分かった」

修学旅行の女子生徒「(戦争を)体験した人は年々少なくなっているので、今の私たちのような全然知らない人たちにも伝えていく役割がある」

糸満市にある「ひめゆり平和祈念資料館」。30年前の1989年、平成元年の6月23日に開館し、以来、悲惨な沖縄戦の記憶と平和の尊さを次の時代に語り継いでいます。

20万人余りが亡くなった沖縄戦ではおよそ9万4000人の県民が亡くなりこのうち、学徒として動員された10代の少年少女2000人近くが死亡。ひめゆり学徒隊もまた、222人の女子学生のうち136人が若い命を奪われました。

本村つるさん平和資料館5代目館長「その平成元年に私たちの資料館が生まれた。私たちの資料館は平成とともにずっと歩いてきて30周年になってその30周年で平成が終わる。平和を訴える天皇とともに私たちも平和を訴えてきたのでこれは非常に意義深い年だったと思っている」

ひめゆり平和祈念資料館5代目の館長をつとめた、本村つるさん。きのう退位され、上皇となった前の天皇皇后両陛下とひめゆりの思い出を語りました。上皇上皇后さまが沖縄に初めて訪れたのは1975年海洋博開催の年。当時は皇太子としての訪問でした。この頃、沖縄は戦後30年。まだ戦争の傷跡や記憶が深く残る中、天皇の政治責任を問う声も強く、皇太子の来県には多くの反対の声もありました。

平成から令和へ(4) 天皇と沖縄戦とひめゆり学徒

本村つるさん平和資料館5代目館長「あ~厳しい時代でしたよ。すごい抵抗感がありました・・・うーーん。ありましたね。」

この時、事件が起きます。

本村つるさん平和資料館5代目館長「火炎瓶事件があった。それは皇太子のころ」

お2人が献花した後、壕の中に隠れていた人物が火炎瓶を投げつける事件がおきました。騒然とする現場・・・。それでも上皇は、公務を変更せず、夜、談話を発表します。

皇太子談話「払われた多くの尊い犠牲は、一時の行為や言葉によってあがなえるものではなく、人々が長い年月をかけて、これを記憶し、一人一人、深い内省のうちにあって、この地に心を寄せ続けていくことをおいて考えられません」と。

この事件の後、お2人がひめゆりを訪れるのは天皇皇后両陛下となった1993年(平成5年)。平和祈念資料館、開館から3年の時でした。本村さんはこの時、資料館でお2人を案内され強く印象に残ったことがあると言います。

平成から令和へ(4) 天皇と沖縄戦とひめゆり学徒

本村つるさん平和資料館5代目館長「この戦争で沖縄がとてもやられているという心の痛みというのかそれは昭和天皇に代わって自分がその痛みを受け取っていたんじゃないかと大変思うんですけど。沖縄戦のことはしっかりと勉強なさったと思いますね」

沖縄戦のことについて、言及することはなかったお2人でしたが、沖縄に心を寄せていると感じた本村さんは案内の後、お2人に「安心して説明することができました」と話すと美智子さまから驚く言葉が飛び出します。

本村つるさん平和資料館5代目館長「そうしたら皇后が「陛下が仲宗根(政善)先生のご本を子どもたちに読むようにと皆に読ませています」と仲宗根先生の”ひめゆりの塔をめぐる人々の手記”という本があるこれをみんなに読ませているこれを読んで沖縄戦のことを仲宗根先生の本で分かっていると。それは陛下が読ませたということをおっしゃっていたそういう話をしてそしてお帰りになるときには自分の子どもたち子どもたちとは言わない子たちがまた来る時にはよろしくお願いしますと言ってお別れした」

新しい天皇陛下にもしっかりと沖縄戦のことは伝えている。資料館の初代館長で、ひめゆり元学徒の教師だった仲宗根政善さんの本を読ませていると伝えたのです。

「いわまくらかたくもあらんやすらかに眠れとぞいのるまなびのともは・・・」

死んだ教え子たちのために歌った仲宗根さんの歌。なぜ、沖縄戦は起き、20万人を超える人々が死んだのか・・・天皇制が果たした役割とは何だったのでしょうか。

本村つるさん平和資料館5代目館長「天皇の戦争責任・・・全くないとは言えませんけどね・・・何しろ天皇は日本の最高の人だったんですから、例えば陸海軍の政府であってもね戦争やりたいと言った時に天皇がやらないと言えばやらなかったかもしれませんね。ところが戦争は起こったと。そうするとやはり責任は天皇にあるというふうに考えられますね。ところが私たちはその戦争に行って思ったのは、なぜ私たちは戦争に何の疑いもなくいったか。それは先ほどもいったように教育なんですよね。」

平成から令和へ(4) 天皇と沖縄戦とひめゆり学徒

元教師の本村さんは、当時の教育もまたあの戦争の狂気を生んだ原因だったと話しました。

来月、開館30周年を迎えるひめゆり平和祈念資料館は来年のリニューアルにむけ話し合いがもたれています。

本村つるさん平和資料館5代目館長「伝えるということはね。伝えるというとはすごく大事なことで何を伝えるかというのがしっかりしたものを持っていないと伝えるのはむつかしいと思うんですよ。この人たちが私たちの気持ちをねずっとくんで下さる」

上皇上皇后さまが心を寄せた沖縄への思いもまた次へと受け継がれていきます。

天皇会見「沖縄は咲貴の対戦を含め実に長い苦難の歴史をたどってきました皇太子時代を含め私は皇后とともに11回訪問を重ねその歴史や文化を理解するよう努めてきました。沖縄の人々が耐え続けた犠牲に心を寄せていくとの私どもの思いはこれからも変わることはありません」

去年4月には8代目の館長に初めて戦後世代の館長が就任されています。リニューアルは来年7月頃を予定。