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現場から中継

事故現場となった名護市安部の海岸には大矢記者がいます。大矢さん。

事故からまる1日がたとうとしています、安部の海岸に来ています。すっかり日が落ちて、周囲は暗闇に包まれていますが、この海岸から直線距離で600mほどいった地点に、今も、残骸と化したオスプレイの機体があります。

ここ、安部という集落は、名護市内から車でおよそ30分ほど離れた、高齢者が多い静かな住宅街です。そこに、きょうは、早朝から少なくとも50人は超える大勢の軍人たちが軍服姿で押し寄せ、機体を回収したり、事故の現場検証のような作業を行うなどしていました。

その様子を自宅の窓から不安そうに見つめるお年よりの姿をみていると、平穏な生活が、オスプレイの事故で、突如として奪われてしまったことに、取材する私も、言葉にならない苦しさを感じました。

今回の事故について、この地域の人々からは「低空飛行での訓練が続いていたので、いつか事故が起きるのではないかと思っていたが、やっぱり起きてしまった」といった声が上がっていました。

また、今回の事故を『不時着』と表現する政府やアメリカ軍に対して「こんなに機体が大破しているのに、これは墜落だ」という声も上がっていました。

2012年のオスプレイ配備から4年。懸念され続けてきた事故がついに起きてしまった現実を前に、沖縄県民の我慢と怒りは収まりそうにありません。