砂川 明俊さん「糸満売りというのは、行ったらだいたい話きくからそんな自由にはできないと。そういう苦労があったから自分は今あると思う。」

慰霊の日シリーズ4回目。沖縄戦を生き抜いた男性は、戦後すぐ糸満売りと言って7歳の年に身売りされました。過酷な戦後を生き抜いたお年寄りたちから今の沖縄を見つめます。

砂川 明俊さん「砂川 明俊さん「海人しているころは、なかったけど丘に上がって仕事やるときは、引け目感じますよ。」

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子どものころ学校に通えなかったという 砂川明俊さん77歳。沖縄戦当時6歳だった砂川さんは、戦後生活苦のため兄と2人身売りされ小学校への入学の夢を断たれました。

砂川 明俊さん「子守りしているときに、自分たちの年頃は学校に行きますよね。これをみて同じ年の子どもたちは、学校に行っているのに?そうそう、これが一番あれだった。」やっぱり行きたいなーっというのがあったんですか?「うん(涙をふく)砂川さん)ごめんなさい。」

戦前から戦後の沖縄兄弟の多い貧しい家庭では、経済苦から幼い子どもが身売りされ、子守りや薪ひろいなどに従事し、学校には通わせてもらえませんでした。

砂川 明俊さん「沖縄からも来るし、こういう一般に売れれてくんですよ。山原とかも多かったですよ。宮古やんばる那覇からも」

身売りの中でも最も厳しいかったと語り継がれているのが、漁業に従事した子どもたち。わずかな金額で集められた子どもたちは、過酷な労働を強いられました。砂川さんもその一人です。

砂川 明俊さん「それと一番きつかったのは、冬の寒さ、あれが一番大変。裸もぐりでしょ。今みたいにスーツなんて全然ないですよ。泳いでいるときにでっかいサメが来てこれが急に見えなくなったのでもう終わりだなーと思った。」

砂川さんにとって子どものときの記憶は、海人の仕事をしていることだけ。母は、戦後マラリアで亡くなりますが、戦争の記憶も母との暮らした記憶もほとんどありません。

砂川 明俊さん「(お母さんと遊んだ思い出は?)ないない。おやじの背中に2,3回おんぶされた思い出はある。これだけしかない宝物、思い出のメガネ。これは、生活の一つで体の一つでこれで一人前になったようなものだから。」

必死で戦後を生き抜いてきた砂川さんは、今、珊瑚舎スコーレの夜間中学校に通い、学べる喜びをかみしめています。教室には、他にも戦争で人生を変えられた人たちがいます。

屋比久としさん 女性「うちなんかはね、終戦後 孤児になったわけ。両親死んでしまって酒屋にもらわれたわけよ。」学校を出られなかったことに対して苦労はありましたか?「いや、ない。食べていくために必死だから。」

伊覇さん 女性「6人兄弟の一番上なんですね。そして勉強した思い出がなくて。」

宮里さん 女性 Q、戦争によって自分の生活が変わったなーっていう出来事はありましたか?「両親いなくなるでしょ。生活もサイパンからこっちに引っ越さないといけないでしょ。もうどん底だよ。その時の援助って毛布一枚とかそんなものでしょ。学校も出なかったし。だからここの学校で頑張っている。」

戦後すぐ、援助や支援があれば変わっていたのではないか?沖縄の今につながる貧困問題もじつは、あの沖縄戦が原因の一つでもあるのです。

山内優子さん「戦争というのは、沖縄だけで起こっただけでなくて、日本本土でも空襲があって親たちが死んでいった。 長崎広島で原爆が落とされて同じように体験しているわけですよ。」

戦後占領下の沖縄では、子どもたちを守る法制度の整備も本土とは大きくかけ離れていました。

山内優子さん「戦争で夫を亡くした戦争未亡人、子どもを抱えた未亡人が本土にもいるし、沖縄にもいる。沖縄にはたくさんいたとおもうんですよね。だけどそういう本土には、児童福祉法で母子のために母子寮が作るという形で作っていった。昭和38年ごろには、650か所ぐらい日本全国には母子寮が出来ているんですよ。だけど沖縄では復帰するまでゼロだった。」

児童福祉法が戦後すぐに沖縄に適応されていれば今につながる子どもの貧困もなかったのではないかと山内さんは言います。

屋比久さん 女性「どんなことがあっても二度と戦争はあってほしくないね。死んだ人も哀れだけど、生きた人はもっと哀れ。この世の中渡っていくのに。」今、学校に通えることはどうですか?「やっぱり字も分からなかったけど何も分からなかったけど学校っていいもんだねと思う。」

砂川さんの息子さん「明るくなったし、いつも帰ってきたら勉強しているし、習ってきたことを復習しているし。」

砂川 明俊さん「今は、楽しいですよ。とにかく勉強ができるし、皆さんとあって話もできるし、一番この学校がいいのは、先生たちがとても優しい。」

今の青春を謳歌している戦争体験者の方々傷つけられた人生を乗り越えたその姿からは、戦争の愚かさ 平和の尊さを改めて感じます。