Q+リポート 父が託した与那国の子守唄 (1)

今、お聞き頂いている歌は、与那国島の子守歌です。歌っているのは、がんで闘病生活を続けながら、今年CDを完成させたある与那国出身の民謡歌手です。亡き父親への特別な思いを胸に、ふるさとでステージに立ったその男性を追いました。

亡き父の着物をまとい、歌う男性。歌っているのは、ふるさと与那国島の子守唄です。

福里安展さん「6年ぶり」「懐かしいね」

福里安展さん。中学校卒業後、島を離れて半世紀、還暦祝いで帰って以来のふるさとです。

福里さん「柔らかみがある。八重山の歌というのは人頭税時代のね、悲しい歌がほとんど。与那国島もそうです」

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15年程前から県内外でステージに立ってきた福里さん。同級生の前外間さんは、島で30年以上三線を作り続けてきましたが、最近、工房を閉じることにしました。

前外間武さん「ジカタやる人、後継者がいないみたいね」

福里さん「後継者がいないとなかなかね、子どもたちの数が減っていきますからね」

戦後、与那国の人口は一時は1万2000人とも言われていましたが、現在は1600人余りにまで減り、深刻な高齢化がすすんでいます。福里さんの父が営んでいた散髪屋も、もうそこには残っていません。

福里さん「いや、実際に入ってみると意外と小さかったんだなぁって感じだね。散髪屋さんが8時ごろ終わりますので、その後はずっと12時まで毎日、太鼓叩いて、三線の音ですよ」

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父、武市さんは、与那国を代表する三線の名手。『歌を後世に残したい』と16年の歳月をかけてつくり上げたのが、島で歌い継がれてきた子守歌と童謡の工工四でした。

福里さん「ひょっとしたら、僕は去年亡くなっている人ですから」

それは、去年3月、突然の出来事でした。

福里さん「アスベストの肺がんであるという。これが判明したと。抗がん剤を打てば、3カ月は伸びるかなと。だからせいぜい伸びても10月までの命かなと言われたんです。死ぬ前に子守歌、童歌だけはなんとか自分の声を残したいと」

『父が託した子守歌を残したい』その思いがことし、CDを完成させました。中には、親を思う子の思いが込められた子守歌もありました。

Q+リポート 父が託した与那国の子守唄 (1)

”母は北のがぢまるの木の下へ 芭蕉の糸を取りに 琉球王府から重い人頭税を課せられた父母 鞍をつけられたヤギのように 昼夜となく働いているが いくら働いても貢ぎ物の糸が足りない 苦しい生活だからどうか、父母のために雨を降らせないでください”

福里さん「親父が助けてくれたのかなと。古い歌とか、残されたものをちゃんともういっぺんやってみなさいというのを、あと押ししているのかなと思ってね」

与那国の生活に深く根ざす民謡。福里さんが亡き父へ、そしてふるさとの子どもたちへ贈る子守歌、民謡、わらべ歌のステージは、あすお伝えします。

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