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比嘉豊光さん「ここにですねまだ破片が残っている」「これが(沖縄戦を生き抜いた)証明ということですよね」

シリーズ戦後70年「遠ざかる記憶、近づく足音」です。報道写真家として知られる比嘉豊光さん、これまで数多くの「沖縄の今」を撮影してきました。

実は、比嘉さんはおよそ20年前から写真を撮るだけでなく戦争体験者の「声」も記録しています。「チビチリガマ」画・丸木位里・丸木俊(1987年)

読谷村の通称チビチリガマ。70年前、住民が逃げ込んだその壕は血の海と化しました。上陸したアメリカ軍に包囲され、竹やりをもって突撃する住民。彼らが撃たれたことで、パニックに陥った住民たちは自決を図りおよそ140人のうち80人余りが命を落とします。

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先月から読谷村立美術館で始まった「読谷プロジェクト」。美術や芸術を通して戦後70年考えるという舞台に展示された絵。沖縄戦読谷村3部作として、1987年に画家・丸木位里・丸木俊によって描かれた3枚の絵が戦後70年の今年、初めて読谷村に帰ってきました。

比嘉さんから提供VTRより(2004年撮影)知花カマドさんの証言「煙はバンナイ、(ガマ内では)布団、着物、石油、と全部投げ込んで燃やし、おばあが長男の手を引き、一緒に出ようと私に掴まり途中までついて来たんだが・・・。」

チビチリガマで生き残った知花さん。97歳となる知花さんは、今はもう、語らなくなったといいます。

比嘉豊光さん「この時はキビもやっていると言っていたが今は家にいる。証言とかそういうのはもうしないと(Qこの映像も貴重?)(当時から)10年11年経ってそうなりますよね」

この証言を撮影した比嘉豊光さん。読谷村出身の写真家で、戦後、激動の沖縄を撮り続けてきました。

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比嘉さん「顔写真は400人くらい。女性が肩とかいろいろ撮影させてくれた時には驚きと感謝した。あまり見せたくないですよね。」

戦禍を潜り抜け生き抜いた人々の表情。そして、今も深く残る傷跡。比嘉さんが1997年から証言を聞いた人たちです。

比嘉豊光さん「『何回も整形してこの顔だよと』にこっとしながら会話する。あの顔のおばあがこの写真だから全身なんですよ足とか見せられないと言っていましたよく生きていましたよね」

生きてきた「証」として、証言の中で自らその傷跡を見せてくれたというおじいちゃんおばあちゃん。比嘉さんは、写真を撮りながら、その声を残したいとこれまでとは違う方法で記録を始めます。

9日の上映会より『私たちの前で男を殺すのもいあるし女を殺すのもいるし彼らに撮って人を殺すのは当たり前でもうどうしたらいいのか私も殺されるのだろうかと思うのだがアイエナー』

比嘉さん「字誌になって日本語に翻訳すればするほど言葉の味がほとんどなくなっていく言葉と声と表情がマッチして歴史や記憶があると」

写真だけでなく映像に残したい。その中でも大切にしたのが「しまくとぅば」で証言を聞くということでした。

見た人の感想女性「これから5年後10年後となったらほとんどの方がいなくなるだろうしとても貴重なこと。今の政権を見ていると沖縄に戦争はなかったことになりやしないかと危機を感じているだからこの証言はとても大切」

男性「沖縄ではこういう戦争があってたくさんの人がなくなって相当苦労して今まで来たというこれは二度と残せない証言ですよ」

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比嘉さんが、これまでに撮影した証言は1000人を超えました。大きく変化し続ける時代の中で比嘉さんはしまくとぅばで証言を撮ることで「沖縄」の原点を失わないようにと願いを込めています。

比嘉さん「沖縄が薄められている状況にある。それに危機感を覚えながらやっていて、しまくとぅばで沖縄を捉え直したい。」

写真だけでなく、証言がそこに加わるとより、リアルに伝わるものがありますよね。

比嘉さん「言葉と声と表情があって歴史や記憶がある」という比嘉さんの言葉がありましたがその言葉が「しまくとぅば」で語られることにまた意味があるんだというんですね。

読谷3部作の絵画と比嘉豊光さんの写真、証言ビデオが上映されている読谷プロジェクトは17日・日曜日まで読谷村立美術館で開かれています。