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さがしています朗読より「あなたにとって「いま」は何時?わたしにとって「いま」はいつでもあさの8時15分。ヒロシマのにぎやかなとこやさんのかべにかかって。私はみんなに「なん時」っておしえるのでした。でも8月6日のあさ8時15分にピカアアアアアッときました。」

アーサー・ビナードさん「わたしの今は止まったのです。「おはよう」のあとの「こんにちは」をわたしはさがしています。」

原爆の投下から69年目を迎えた今月、広島在住の1人のアメリカ人が沖縄にやってきました。アーサー・ビナードさん。アーサーさんは、20年前から広島に住み、日本語で原爆の恐ろしさそして戦争のあやまちを訴える詩や絵本を書いています。

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アーサーさん「放射能が一番最初に広島でばらまかれたどういう風にかというとピカ(原爆)。ピカというのは広島の人たちが造った言葉」

なぜ、日本語で反戦や核の根絶を訴えるのか。それは学生時代に受けた教育がきっかけでした。

アーサーさん「僕はアメリカの学校でピカは必要だったピカは正しかった戦争を早く終わらせるために使ったから。アメリカの学校で教わったことは真っ赤なウソだった。」

この日は那覇市内の小学生たちに読み聞かせをしたアーサーさん。子どものうちから平和について自分で考えてほしいと伝えました。翌日、アーサーさんはボーリング調査が目前に迫っていた辺野古へ向かいました。埋め立て予定地である大浦湾を見つめこんなことを話し始めました。

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アーサーさん「僕は広島から沖縄に来たんだけどなんか今、8月5日のような気がする(原爆投下)前だと。今どうやって止めるか。」

そう話した後、アーサーさんカメラを取り出し、あるものを撮りはじめました。漁港にある海の環境美化を訴える石碑です。そこに埋め込まれている子どもが描いたポスターに衝撃を受けたのだと言います。

アーサーさん「この子たちが描いていることと全く矛盾していることが起きようとしている」

ゲート前で連日行われる抗議行動。その中にいた子ども達に話しかけました。

アーサーさん「一緒に歩いてたでしょ?シュプレヒコールも作文にはなんて書く?」

小学生「今日来てこんなに沖縄の人は辺野古の移設に反対しているんだなと思いました」

アーサーさん「もしいっぱい来てたらどうなると思う?」

小学生「アメリカ人もわかってくれると思う。」

アーサーさん「2万人来たらアメリカ人もわかってくれるかもしれないね。」

戦後69年。広島そして長崎に投下された原爆にNOの声を上げながら、戦争に向かう核や軍備に疑問を投げ続けた20年、今の沖縄の光景に、戦争はまだ終わっていないとアーサーさんはこんな詩を書き残しました。

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アーサーさんの詩より「2014年の終戦記念日をぼくは沖縄県名護市辺野古で過ごした。美しい砂浜は小さな島ととてつもなく豊かな海が眼前に広がる。ところが、終戦記念日の前日から日本政府は辺野古の海を決定的に致命的につぶす埋め立てを始めた。本当の終戦記念日はみんなが立ち上がった時にやってくる。」