※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。

Qプラスリポートです。沖縄戦が始まる前の年に疎開者を乗せた船「対馬丸」がアメリカ軍に撃沈された事件から今年でちょうど70年を迎えます。1500人近い人の命が奪われた事件は当時、秘密とされ、対馬丸が知られるようになったのは戦後のことです。当時子どもたちを引率した教師が重い口を開きました。

糸数裕子さん「亡くなった人のことは忘れられないからね近頃はやっぱり夢にみますね」

Q+リポート 対馬丸事件から70年・「秘密」の恐ろしさ

糸数裕子(みつこ)さん。学童約830人を乗せた「対馬丸」に当時、引率教員として生徒と一緒に乗り込んでいました。沖縄戦が始まる前の年1944年7月、サイパン島の日本軍が全滅すると、次は沖縄が戦場になることが想定され、国は県民の疎開を決定。対馬丸は8月21日、那覇港を出港します。

糸数裕子さん「その乗った日は楽しさもあって、大和に行く楽しさもありますよね。怖いことよりも楽しみが多いから、子どもたちと一緒に私も甲板に出て一緒におしゃべりしたり、歌を歌ったりしてね。」

しかし、楽しい時間は地獄へと変わります。22日夜、アメリカの潜水艦ボーフィン号の魚雷が対馬丸を襲い、わずか10分ほどで沈没。学童780人を含む1500人近い人が犠牲になりました。

糸数裕子さん「あっ、やられた〜って思ってね。みんなわめいています大きな声で、助けて〜とか、お父さん、お母さんと。」

Q+リポート 対馬丸事件から70年・「秘密」の恐ろしさ

奇跡的に助かった糸数さんでしたが、「生徒を引率した教師」が生き残ったことで、70年たった今でも、責め苦を負っていました。

糸数裕子さん「(沖縄に帰ってきても)ただ街は歩けなかったです。もう責められる。なんであんたは生きていたと言われるかも知れないと・・・それはもうずっとありましたね。」

糸数さんや、生存者を苦しめたのはそれだけではありません。その後、対馬丸の事件は「箝口令」という形で「秘密」とされるのです。

糸数裕子さん「やっぱり船(対馬丸)がやられたら、アメリカに聞こえてもっと負け戦になるというあれはなかったんですかね。(疎開先では)自分にあったことは何もしゃべってはいかんと。対馬丸のことを言ってはいかんという話ではない。とにかくいろんな話はやるなと。」

中須俊治さん「これもそうですけどね。ここに愛国心とかあるじゃないですか、なんか今の日本みたいですね。」

Q+リポート 対馬丸事件から70年・「秘密」の恐ろしさ

対馬丸記念館の展示を見るのは、滋賀大学4年生、中須俊治さん。中須さんは去年12月、国の特定秘密保護法に反対し、ホームページで、全国の学生に署名を呼びかけ、その活動は当時多くのメディアにも取り上げられました。

中須俊治さん「動けばそれが連鎖するんですよね。いろんなところで。だからそういう連鎖が社会を動かしていくんだなというふうに確信しましたね。今回のことで。」

今年3月、初めて対馬丸記念館を訪れ、70年前の、対馬丸の悲劇に現代の秘密保護法を重ね合わせていました。

中須俊治さん「今回の秘密保護法のやつって、言ったらあかんと言う前に知ったらダメという前の段階を禁止されるじゃないですか。そこをみると当時の第2次世界大戦の前より悪質の可能性がありますよね。」

70年前、日本の敗戦が濃厚となる現状を封印した「秘密」。それは約1500人の犠牲を封印するものもでした。対馬丸の悲劇が、現代に問うものとは何なのでしょうか。

糸数裕子さん「あ〜この子は顔も覚えているこれ私の組の子だった。仲宗根よしこ。この子のお父さんお母さんがうちにしょっちゅう来よった。」

Q+リポート 対馬丸事件から70年・「秘密」の恐ろしさ

昔の教え子と再会するように一枚一枚写真を確認する糸数さん子どもたちの思い出が鮮明に蘇ります。戦争による犠牲者の一人であるはずの糸数さん。しかし、引率教師だったことで今なお、その苦しみを背負い続けています。

糸数裕子さん「これはねずっと続くと思いますよ。人に対する怖さとかね。この頃寝られなくてね。とっても困っている。」

70年前の糸数さんとほぼ同じ世代の中須さん。今の政府のあり方には、大きな不安を感じていました。

中須俊治さん「今、スピードが早すぎていろんなことがどんどん決められていって、ついて行けないんですよね僕はもう。もっと考えさせてとか、これはどんなことだったのかというのを知りたいのに、独走状態ですよね独裁と言ってもいい。」

今回のインタビューの中で、70年前、糸数さんは対馬丸のことについて「とにかくいろんな話はしちゃいかんよ」と言われたそうなんですね。

何をしゃべってはいけないのか特定するのではなく、それらしきことをしゃべってはダメだよと言われると、恐怖によってどんどん口を閉ざしていった様子が良くわかりました。

去年12月に強行採決された特定秘密保護法。特定するはずの秘密が何なのか、誰がその秘密を妥当だとチェックできるのか、まだまだ法律施行後の不安な部分を残したままです。