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収容所から戻るときに家族の遺体を掘り起こすケースが多発したため、アメリカ軍は65年前の今日、密葬や洗骨の禁止令を出しました。

宜野座小学校の敷地にあったアメリカ軍の野戦病院。当時7歳で、左腕の骨が見える大けがをしていた高嶺騏一さんは二人の従妹と共に運び込まれました。

騏一さん「中の骨が見えよったです」

大やけどをしていた従妹の姉妹は三日目に亡くなりました。

騏一さん「皮膚は焼けただれてかわいそうでした。水を飲ましたらいかん、死ぬといわれた。あげたかったんですけどね。一晩中水、水って・・・」

病院の隣にあった埋葬地では穴掘り作業が間に合わず、一つの穴に3,4体を一緒に入れる状態。ここに、幼い従妹も埋められました。

これは、目印におかれた石です。土葬の習慣がなかった沖縄では、土に埋められるのは豚や牛のようだと嫌がられ、必ず掘り出したいと印をつけたのです。

11月。墓を掘り起こし連れ帰ろうとする人や岩陰に遺体を隠す人が続出したため、アメリカ軍は衛生上の理由で「墓の掘り起こしや洗骨」を禁止しました。

昭和58年、宜野座体育館を立てるときに埋葬地の一部が発掘されました。現場には連日多くの遺族が詰めかけましたが、墓標が見つかってもほかの人の骨と混ざっていて、結局、誰も持ち帰ることはできませんでした。騏一さんも従妹の手掛かりは探せませんでした。

騏一さん「戦争を憎みますよ。戦争がなければ、僕らもそういう思いをしなくてもよかったんですから」

騏一さんたちの家族を殺したのはアメリカ軍ではありませんでした。その事実は、長い間封印されていたのです。