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『61年から72年にかけて、米軍機が白とピンクの粉をまいていきました。私達が浴びたその粉のなかには木を枯らす何かが入っていました』

『ベトナム戦争に兵士として参加していた夫・グレッグも枯葉剤を浴びていた。彼は突然逝ってしまった』

先週土曜日、桜坂劇場で上映が始まったドキュメンタリー映画。この作品を作ったのはベトナム帰還兵で、枯葉剤を浴び、肝臓がんで亡くなったグレッグ・デイビスさんの妻・坂田雅子さん。

坂田雅子さん「死因が枯葉剤だったこともあって、枯葉剤についてもっと知りたい。ドキュメンタリー映画を作ろうと思い立った」

グレッグさんは除隊後、戦争の過ちを訴えようとベトナムをはじめ、アジア各地で写真を撮り続けました。しかし、54歳で病に倒れるとすぐに亡くなってしまいます。そんなグレッグさんの遺志を継ぐように、坂田さんは悲しみにくれながらカメラ片手にベトナムへ向かいました。

坂田さん「ベトナムに行って枯葉剤の被害者にそう簡単に会えるとは思っていなかった。思った以上にありとあらゆるところに(被害者)がいて、障害や病気をもっていたりする。それは予想外でした」

『生まれた子どもはうめき声を上げました。動物みたいな声でした。3日後は少しおさまったけど、まだ叫んでいました。目もなかなか開けません』

坂田さん「大変な障害を持った子どもたちを抱えながらも、しなやかにそれを受け止めていて、アメリカをうらむこともせず、家族で支えあって生きているというのにとても力づけられた」

1960年代からベトナム戦争でゲリラの壊滅を目的に行なわれた「枯葉剤作戦」。およそ10年間続き、ベトナム全土で撒かれた枯葉剤はおよそ7200万リットル。その中には世界でもっとも毒性の高いダイオキシンがかなり高い濃度で含まれていて、森だけでなく人の遺伝子までも破壊しました。

『これから頭が2つある男の子に会いに行きますといった。私はどんな状況が待っているのか予想もつかなかった』

ズエンの姉『毎日学校から帰ってから弟の面倒をみます』

ズエンの母『普通の子と同じように育てようと思いました。産んだからには育ててあげないと』

「戦争だったから仕方がない」静かに運命を受け入れるベトナムの人々。しかし、それから第3世代の子どもにまで枯葉剤の被害が続く以上、戦争は終わったとはいえません。

観客「枯葉剤というのは聞いていたが、予想以上に大変なものだったなと思いました。戦争は絶対だめですね、戦争したらいかんですね」

観客「孫の代まで枯葉剤の影響が出ていると今日知った。戦争は終わってない。糸満の不発弾の事故もありますし、終わってないですね」

2年前、沖縄でも枯葉剤が貯蔵・散布されていた事実が明るみに出ます。それはここ沖縄からベトナムへ枯葉剤を運んだことも裏付ける結果となりました。坂田さんはその沖縄で、この映画を上映する意味を強く感じています。

坂田さん「強者に牛耳られた弱者というパターン。沖縄でこの映画が上映されるというのは、そういう意味でとても意味があること。多国籍企業が利潤を追求するがゆえに人々を犠牲にする。枯葉剤も辺野古も日米安保もそうだと思う。そういうものを何とかしていかなければいけない」

『あの墓はどこに行ったのだろう。長い時が過ぎた。今は昔のこと…』

『2008年2月、アメリカの連邦高裁で損害賠償請求が再び棄却』

最後にアメリカ兵の名前が刻まれた慰霊碑でのシーンがありましたが、それはまさに沖縄でも続けられている光景です。戦争は「ただ悲しみと苦しみだけを残す」と改めて感じさせられる映画です。

きのうお伝えしたリポートでベトナム帰還兵ネルソンさんが「沖縄に基地がある限り未来はない」と語っていたように、映画監督の坂田さんも一人でも多くの人に観てもらい、戦争に向かう全てのものを排除する動きに繋がればと話していました。