※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。
News Photo

ことし、沖国大の学園祭で企画されたひとつのイベント。学年も異なる彼ら35人の学生が取り組んだのは、4年前のアメリカ軍ヘリ墜落事故をテーマにした演劇でした。事故を体験した学生たちはすでに大学を卒業。イベントに取り組む学生たちにとって、事故の記憶はテレビで見たニュース映像でしかありません。

学生「私が受験の時、塾にいるときに(ニュースで)事件を知ってびっくりしちゃって。後世に、というか後輩に、こういう事件があったんだということを伝えていけたらなと思って参加してます」

このイベントを企画したのは4年生の阿波根さんです。これまで毎年、ヘリ墜落事故をテーマにしたイベントを企画してきましたが、劇で上演するのは初めてです。阿波根さんももちろん事故は体験していません。基地やアメリカ軍に特に興味や関心があったわけでもありませんが、大学でのイベントに参加するうちに意識が高まったといいます。

阿波根さん「事件に関して関心がなかった部分もあったが、それが自分の中でどんどん関心に変わっていった。自分のなかでは風化してないが、周りの学生たちは風化しつつある中、それをどう伝えていくか、伝えていけるかを考えるようになって」

『(現場の)なかに先生たちが入ることはいいでしょ』
 『でも爆発したら生命の危険に』
 『いやいや中に入らせてくれなかった米軍がいけない』
 『あれは米軍がおれたちを守ろうとして…』
 『守る?守る?そうやって米軍の肩をもつから基地がなくならない!おまえは何も分かってない!』

台本は何度か書き換えられました。企画を進める中で、メンバーから出てきた基地に対する様々な意見を書き加えたのです。多くの意見を入れることで、賛成・反対という答えをださない、これが最終的なコンセプトになったのです。

いよいよ本番。この日のために何か月も取り組んできました。開演時間がせまり、緊張のなかいよいよスタートです。

主人公は明るい5人の大学生。ある日受けた授業の中で、沖国大ヘリ墜落事故のことを知ります。

『いまね、沖国にヘリが落ちたの!嘘じゃないよ、本当ってば!』
 『何で入れないんだ、おれたちの大学だ!とにかく中に入れろ!』
 『No, No, NO! Keep Out!キケンデス、アブナイデス』
 『Hey! No, No. No Picture!』

学生たちは授業で出された課題で、事故のことや基地の問題をしらべるうちに多くの「知らなかったこと」に触れていきます。連発されるのは今どきの軽い若者語ですが、問題の深刻さに直面した彼らの、正直な言葉として響いてきます。

『最近では普天間第二小学校とか嘉手納中では、ヘリ墜落を想定した避難訓練とかおこなわれてるんだって』
 『マジで?あー、でもこんなに近かったらやっとかないとマズいよね』
 『でもそれっておかしいんじゃない?ヘリが墜落することを想定して訓練してるわけでしょ。何ていうか、基地に対して学校とか住民が対応してるっていうか、基地を不思議に思ってないっていうか』
 『でも生まれた時から基地はあったし、そのことを疑問に思ったことなんてないよね』
 『うん、俺はいままで基地についてなにも考えたことなかったし』

調べた事実を演じることで学生達の心にも変化が起きました。

学生「名護出身なんですけど、こういう(劇を)してるなかで名護にセスナが落ちたって聞いた。宜野湾にヘリが落ちたってのを高校生の時にきいて、本当にすごいことなんだけど、(事故を)客観的に見てる部分があって、それが名護での墜落を聞いたときにやっと主体的にとらえられた」

『私は基地が必要って思うけど、それは私だけではないんだよ。私みたいに基地のおかげで生活が成り立ってる人は沢山いる。基地がない方がいいって思うのは当然のことと思う。でも私は先生の話を聴いても基地反対にはならないな』

学生「基地賛成、イコール基地問題について考えてないっていう考えだった。基地反対の人こそ問題をしっかり考えてる、そういう意識が自分の中にあった。賛成には賛成の立場の人のしっかりした考えがあるし、反対には反対の立場がある。そのなかでどのように平和をつくっていくかということが大事、反対だけが答えじゃないと思った」

観客「いつ(米軍機が)墜落してもおかしくない状況なので、本当にこの喜劇は面白かったんですけど、自分は怖いなと思った」

観客「自分も当時その現場にいたので、そのときの緊張感とか恐怖がすごく伝わってくる劇だったと思います。こうやって常に在校生がそれ(記憶)を引き継いでくれればうれしく思います」

気持ちの中では基地反対の気持ちのほうが強かったという阿波根さんですが、意識して中立の立場で劇を作り、そして「事故」ではなく、常に「事件」という言葉をつかって様々な問題が入り組んだこの事故を表現しました。

阿波根さん「中立っていうけれど、それを表現するのは難しい。やっぱり反対の部分の気持ちが強いのかもしれません。ここではイベントとして考えるきっかけを提供してる。下の世代、自分たちと同じ沖国生の下の世代に伝わればいいと思う」

事故から4年、本当に月日の流れる速さを感じます。それと同時に、記憶の風化するスピードも私たちが思っている以上に早いのかもしれません。

「事故」ではなく「事件」という言葉を意識的に阿波根さんが使ったように、事故当時はアメリカと日本、そして沖縄とのいびつな関係が浮き彫りになりました。地位協定など、いまだ残るそれらの課題が解決されるまで等身大で考える彼らの試み、次の世代に引き継いでいってほしいものです。