※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。
JICA ミバエとの闘いの経験を海外に

浦添市にあるJICA・沖縄国際センターが、今月、開所30周年を迎えます。世界中から多くの研修員を受け入れてきたJICAの取り組みについて、きょうとあすの2日間に渡ってお伝えします。

1回目の今日は、沖縄で開発された「ある技術」についてです。

JICA・沖縄国際センターが誕生したのは1985年。ASEAN各国の人材育成センターを目指して産声を上げました。以来30年、IT=情報通信技術、公衆衛生、環境保全、平和文化創造への協力など、幅広い分野で国際協力を進めてきました。

沖縄で専門的な研修を受けた人たちは、実に1万人を超えています。

JICA ミバエとの闘いの経験を海外に

柏谷所長「琉球王国という長い歴史があって、その当時はベトナムまで交易していたという万国津梁の精神ですね、これをお持ちになってる。そういった場所が日本の拠点としては適当ではないかと」

そのJICAから、27年前に研修員の受け入れを依頼されたのが農林水産省・那覇植物防疫事務所。ここでは、ある生き物が飼育されています。

JICA ミバエとの闘いの経験を海外に

那覇植物防疫事務所 検疫主任・山本卓司さん「農林水産大臣の許可を受けて特別に飼っております」

ミバエです。果実に卵を産み付け、繁殖していきます。沖縄では1993年に根絶されましたが、いまだに生息しているアジア各国では、フルーツの輸出が出来ないなど、経済発展の妨げにもなっています。

JICA ミバエとの闘いの経験を海外に

初期の研修を担当していた、石川昭彦さんです。

那覇植物防疫事務所 統括植物検疫官・石川昭彦さん「中心温度が45度から46度くらいになると虫がほぼ死ぬという状況になるので、そういった試験を繰り返す。そうすると今度虫は死ぬんですけど、果物にダメージがないようにということで、もっと細かい条件を決めたり、そういう試験をくり返していく」

JICA ミバエとの闘いの経験を海外に

蒸気の熱で果実を温めて虫を殺す「蒸熱処理」技術。この技術を受け継いだ2人の女性が、タイ・バンコクにいました。ラチャダ・インタラクムヘンさんとワライコーン・ラッタナデチャクルさんです。2人はタイの農業協同組合省で植物検疫を担当する係官です。

JICA ミバエとの闘いの経験を海外に

1988年、最初の研修員として来日したのがラチャダさんでした。様々な条件の下、最適な殺虫方法を探るという、地道な作業が5カ月間続きました。

ラチャダさん「研修から帰国後はタイで実験を続けました。最初はマンゴーでの実験です。この蒸熱処理器を使用して最適な温度を探り、ミバエの処理にも成功しました」

翌年にはワライコーンさんも来日して、同じ研修を受けました。

ミバエの飼育方法や卵の採取方法など、全て沖縄で学んだ方法を基本に、タイに適した方法を2人で探し出しました。

石川さん「当時、初回も担当してたんですけども、やはり言葉、研修員で来られる方も英語が母国語じゃないですし、我々も英語は母国語じゃないので、我々の持ってる技術をいかに研修員の方に理解してもらえるか、というのが、最初スタートの頃は大変苦労しました」

以後、タイの植物検疫の現場では、2人が中心となって実験を繰り返し、マンゴーなどのフルーツ輸出を可能にしてきました。

JICA ミバエとの闘いの経験を海外に

研究所のそばにある民間会社の工場です。ここには巨大な蒸熱処理施設が備えられています。

草柳記者「処理作業が終わったフルーツが次々と運び込まれてきました。ここで選別作業が行われて、この後、日本や韓国向けに輸出されていきます」

JICA ミバエとの闘いの経験を海外に

ワライコーンさんイ「箱にはステッカーが貼ってあります。きちんと蒸熱処理され、タイの係官によって検査されたという証拠です」

ラチャダさん「マンゴーの輸出が可能になったのは石川さんのおかげです」

沖縄からタイに伝えられた蒸熱処理技術。それは安心して食べられる「マンゴー」となって日本の食卓に帰って来たのです。