2012年5月15日 18時40分

5・15-夢・現実そして未来へ- 「復帰」と「日の丸」

復帰特集は、今日の式典でも掲げられていた日の丸について。

沖縄は日の丸掲揚率が全国最低だった時期も長く、25年前の海邦国体では日の丸を燃やす事件もありました。しかし沖縄ほど日の丸に憧れ、また日の丸に悲しんだ県民もいません。沖縄と日の丸の複雑な歴史を振り返ります。

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知花昌一さん「私は紹介ありましたように、こういう格好で真宗大谷派の僧侶として4月に沖縄に戻って参りました」

元読谷村議の知花昌一さん。この日、僧侶になってはじめての講話でした。

知花「私は高校時代、そして大学に入って、日の丸を振って復帰運動をしたんです。日の丸が私たちの解放の印みたいにもなっていたわけです」

その知花さんの行動が25年前、日本中に衝撃を与えました。海邦国体の会場で、日の丸に火をつけたのです。

それは「日の丸の強制を許さない」という、当時の読谷村の意志を踏みにじられたことへの抵抗でした。

3100円の旗を焼いて「器物損壊容疑」で逮捕。しかし、直後から知花さんの経営するスーパーが放火され、連日、嫌がらせが続きました。裁判も、毎回大勢の機動隊が導入され、騒然とし、改めてこの旗がもつ意味と影響の大きさを知らしめる形となったのです。

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ところが、知花さんの家の仏壇に意外なものが保管されていました。

知花さん「シミまでついて。この玉まで買ったんだ。僕が買ったと思う。あまり覚えていない。正月とか、憲法記念日とかに飾りよった」

知花さん「(A:燃やした日の丸とこの日の丸は何が違うんですか?)同じ日の丸だけど、やっぱりこれは自分が買って揚げた日の丸。向こうは強制された日の丸であるわけ」

そもそも、沖縄では1945年の占領と同時に日の丸・君が代は禁止され、罰金まで科されました。

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1952年に主権を回復した本土では、日の丸が解禁になりましたが、沖縄ではその翌年、正月三が日だけ掲揚が認められたものの、公の場で掲げることは許されませんでした。

教職員会会長だった屋良朝苗さんはこんな陳情書を出しています。

民政副長官ゼームス・イ・ムーア少尉殿

元旦に交付された布令に感謝いたします。
沖縄の各家庭ごとに国旗を掲揚して喜びました。
しかしながらこの布令は学校に国旗を掲揚することを禁じていますので、
教員達は暗い気持ちを持っています。
(略)家庭と同じく、元旦には各学校でも国旗が掲揚できますよう
ご許可下さいますようお願い申し上げます。

沖縄教職員会会長 屋良朝苗

知花さん「アメリカが禁止した旗を振るということは、アメリカに対する抵抗の印でもあったわけ。米軍支配からの解放の光を私たちはこれに託したと思う」

復帰運動をリードした沖縄の先生達は日の丸掲揚を奨励。沖縄では手に入らないため、全国から20万枚の日の丸を集め、配布します。運動会では万国旗に混ぜて日の丸をあげるなど、涙ぐましい努力の末、九州陸上大会では15年ぶりに君が代が歌われ、ついに1969年、国旗掲揚の自由化も勝ち取りました。

しかしその頃、次第に復帰の実態が明らかになります。県民を愚弄する「返還協定」への失望が広がっていきました。

知花さん「『5・15メモ』とか、そういう裏取引があるものに関してバンバン暴露されて来たときに、こんなもんなのかと。もちろんこんな日の丸はもう振らないですよ。どこにもない」

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40年前の今日、記念式典会場横の与儀公園で、知花さんは大勢の人々と共に、復帰の屈辱を味わっていました。そこには日の丸も祖国という文字もありませんでした。

復帰後、知花さんを大きく変えたのは、自分の住む読谷村で起きた悲劇、チビチリガマの集団死と出会いでした。

なぜ、国のために家族が殺し合う状況がつくられたのか、知花さんは自分たちが振っていた日の丸の残酷な歴史を知るのです。

ところが、海邦国体の沖縄開催が決まるころから、日の丸・君が代の強制が始まります。文部省の調査で、沖縄の日の丸掲揚率は全国最低だと大々的に報じられたからです。

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しかし、反発する教員と学校長との間に対立が生じ、学校現場は混乱。日の丸が下ろされたり、卒業式をボイコットする高校もありました。

地域の悲しみと矛盾を一心に引き受けた高校生達の姿は知花さんの胸に突き刺さりました。本来、矢面に立つべきは大人たちだ。その思いが知花さんを日の丸に向かわせたのです。

知花さん「子ども達は抗議行動をとった。それに対して大人達はどうなんだと。僕の立場では、大人としての彼女らに対するけじめの付け方がこうだったと僕は思っているわけ」

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日の丸事件の後も、知花さんは、通称・象のオリの地主として土地契約を拒否。それでも強制的に土地を取り上げられるよう「軍用地特措法」が改正されたときは、国会で暴れて逮捕されるなど、常に国の圧力と闘ってきました。

今は穏やかな知花さんですが、胸の炎は静かに燃え続けています。

知花さん「僕が今勉強しているのは親鸞の宗教です。親鸞というのは反権力で何回も弾圧された人たちでね。復帰40周年、基地が押しつけられようとしている今の時に、やはり民衆の中であしを踏ん張り、そこで本当に自分の生き方を通した闘いをしていく。僕が見つけたのは浄土真宗の親鸞の教えだと思っています」

取り上げられたり、押しつけられたり。そういう経緯は全国のほかの地域の人は知らないことなんでしょうね。

いま、皆さんが日の丸について、どういう立場でももちろん個人の自由です。でも沖縄に住む人、沖縄の人である以上は複雑でやりきれない県民と日の丸の歴史があったことだけは知っておいてほしいと思います。

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