戦争中に解散した「沖縄県警察」に代わり戦後、収容所でアメリカ軍が任命した民警察官が誕生しました。 戦火が激しさを増していた6月、当時の沖縄県警は命令により解散。66年間の歴史に幕を下ろし多くの警察官は…
65年前の今日、積徳女学校の看護隊のハルさんたちは解散命令のあと地獄をさまよい、捕虜になりました。積徳高等女学校の生徒25人が看護隊として入っていた糸州の壕。ここに、司令部の玉砕と「最期まで戦え」とい…
「オキナワ1945~島は戦場だった」約2ヶ月間にわたり繰り広げられた特攻機による「菊水作戦」では、約3000人の若い命が散りました。この作戦を遂行する上で、沖縄地方の天気は重要な情報でした。戦時中の気…
65年前のきょう、第32軍の総司令官、牛島満中将が自決。司令官が残した命令は戦場をさらに混乱させました。 日頃は、固く閉ざされた摩文仁の総司令部壕。65年前のきょう牛島中将はこの壕で自決しました。牛島…
エンディングは「オキナワ1945」島は戦場だった。65年前のきょう、アメリカ軍は摩文仁などを占領し、「日本軍の組織的抵抗は終わった」と記録しています。 アメリカ軍が沖縄本島への攻撃を開始してから80日…
エンディングは「オキナワ1945」島は戦場だった。首里の日本軍司令部の近く、通称「フラットトップ」と呼ばれた丘が65年前のきょう、アメリカ軍によって占領されました。 那覇市首里石嶺町にある小高い丘。頂…
5月3日、石垣島では県八重山支庁が空爆をうけ八重山における県の行政は完全に停止しました。 年明けからアメリカ軍の空爆と艦砲射撃にさらされていた石垣島。爆撃は4月からよりいっそう激しさを増していました。…
65年前のきょうアメリカ軍の前線は浦添に入り牧港飛行場を占領しました。 牧港飛行場は1944年に日本陸軍が「沖縄南飛行場」として建設。1830メートルの滑走路を持つ一人乗りの小型特攻機用の飛行場でした…
65年前のきょうアメリカ軍は浦添まで迫りました。そこに配置されていたのが首里高等女学校、ずいせん学徒隊の生徒たちです。 4月24日宜野湾嘉数の最前線を突破したアメリカ軍は二日後の26日、浦添での激戦を…
65年前のきょうは、伊江島の戦闘が終結した日です。芳魂の塔では平和祈願際が行われ、島は一日祈りの日となりました。その伊江島ではきょう、もう1つの慰霊祭が行われました。 島の西端、今はアメリカ軍の基地と…
ここに1冊の記念誌があります。1945年に喜如嘉国民学校を卒業した生徒たちが発刊したものです。「20会」という名前は沖縄戦の年、昭和20年に卒業したことから名付けられました。記念誌に盛り込まれた年表か…
1945、佐久本喜範さんは鉄血勤皇隊として金武へ。空襲が激しくなった3月下旬、県立二中の5年生だった少年は、鉄血勤皇隊として金武に配属されました。 佐久本喜範さん「小禄(飛行場の)掩帯壕づくりとか高射…