※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。
10-08-04-1945.jpg

アメリカ軍は7月2日に「沖縄作戦の完了」を宣言したものの、しかしその後も本島各地に潜伏する敗残兵たちとの間で戦闘を続けていました。激戦地となった浦添の前田高地や最後の戦闘地島尻地区にはこの時点になっても200人あまりからなる陸軍部隊が残っており、降伏を拒否して抵抗を続けていました。

特に本島北部の山々には沖縄戦初期に八重岳を追われた陸軍宇土部隊の兵士たちが数多く潜伏。

敗残兵の多くは陸軍中野学校出身でゲリラ戦闘技術にたけており、食料や武器も乏しい中で、なお戦闘を続けていました。

65年前のきょうアメリカ軍はほとんどの日本兵の掃討を終えたと判断北部地区の掃討作戦完了を宣言。しかし、その後も北部敗残兵の潜伏は続き、彼らの多くが投降に応じたのは10月初旬になってからのことです。

この指揮系統無き戦闘継続は、民間人を含め死者数を増やすこととなりました。