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65年前の今日、積徳女学校の看護隊のハルさんたちは解散命令のあと地獄をさまよい、捕虜になりました。積徳高等女学校の生徒25人が看護隊として入っていた糸州の壕。ここに、司令部の玉砕と「最期まで戦え」という命令が伝わったのは6月23日のことでした。

ハルさん「隊長がこんなことになるんだったら君らを預からなかった本当に許してくれと。自分から死ぬことはない。絶対に生きて帰ってお父さんお母さんにあいなさい。そしてこの悲惨な戦場のこと、後世に伝えてほしい。これが隊長の最期の言葉」

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長野県の住職だった小池勇助隊長は、兵士には北部で持久戦をせよと命じる一方、非戦闘員の看護隊員には投降するよう命じました。女生徒たちは一緒にいたいと号泣しました。

ハルさん「北極星っていうのは変わらない必ず自分より北にいるから、北に向かって進んで行ってくださいって。隊長殿の言葉よ、これ。」

26日の夜、言われた通り北極星を目当てに、ハルさんたちは3人で壕を出て行きました。小池隊長は翌日、ここで自決しました。しかしハルさんもアメリカ軍の黄燐弾にやられます。

ハルさん「上にはアメリカ兵がテントを作って音楽鳴らしているの。私なんかドクガスやって死のうとしているのに、これをうま乗り体制っていうの」「やられた春ちゃん助けて逃げないで。やられた。やられた」「みんな助けて。助けて。してるけど、みんな血の海」

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地獄をさまよい、何も見えなくなって死んだと思ったハルさん。アメリカ軍のトラックに乗せられて水を飲まされた途端、ようやく景色が見えるようになったと言います。動員された3月6日から4カ月がたっていました。