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きょうは初の離島「粟国島」から。40年に渡り塩作りを研究し、世界に粟国の名を広めた沖縄の塩の原点とも言える方を紹介します。

人口800人余り、今もなお昔ながらの自然が残る「粟国島」。各家庭の軒下には、貴重な雨水を溜めておく「トゥージ」と呼ばれる水ためが今も残っています。現在では水道が普及しその役目を終えましたが、家の遺産として水の大切さを伝えています。

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今回訪ねたのは、粟国の海水に惚れ「粟国の塩」の生みの親。作務衣にサンダルスタイルのこの方が小渡幸信さんです。

小渡幸信さん「よく苦労があったねと言われるけど、今となってはあの時が楽しかった」

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約40年前から製塩の研究をしている小渡さん。昔から体が弱かったため、健康には人一倍関心を持っていました。

小渡さん「学者が塩の研究をしていて、手伝える人を探していた。私も健康について勉強したかったので」

1971年、塩業整理により自然塩は作れなくなりました。沖縄でも復帰後これまで使っていた塩が使えなくなり、本来の塩のあるべき姿を求めて、自然塩復活運動がおこりました。

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小渡さん「ニガリというのはただニガリではなくてたくさんの成分がある。それを残す工夫が必要、しかし工夫も知らなく結局20年かかりました」

青山「こちらが粟国の塩の塩田タワーです。竹1万5千本を高さ10mの上から組んで、この様なタワーを作っています」

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海のそばに立つ小渡さん手作りのこの装置。海水を風と太陽の力で水分を蒸発させます。この作業を何度も繰り返し、海水を5倍から7倍の濃さに濃縮していきます

青山「ここにいると心地いいような雰囲気というか、空気感がありますね」小渡さん「夏場はものすごく冷たい風が来て心地いいです」

いのちは海から、生命の出発点である海の恵みを最大限に生かすことが、塩のあるべき姿と小渡さんは言います。

24時間薪が途絶えることはなく、従業員が交代で丁寧に製塩していきます。

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従業員「所長が一番動く。薪も入れたりするので。極めるっていうのはすごいんで尊敬しています」

今年75歳になる小渡さん。今でもその探究心は衰えず、釜の前に立ち続けています。

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小渡さん「人にとって、食にとって、役に立っているかというとまだまだ足りないなと。やっっぱりもう少し研究を続けていかないといけない。塩もただ味がつけばいいんじゃなくて、健康にとってどうあるべきか、塩の中身はどういう残し方が大事かっていうね。私がやらないといけないと思っている」

そんな粟国の塩に合うレシピはスーチカー。塩の苦みと豚のコクがあいまってコクも倍増。茹でても焼いてもオススメです。

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