ことし3月、名護市辺野古沖で発生した船の転覆事故。事故をきっかけに、SNS上では、沖縄の平和教育に対する批判や疑問の声が相次ぎました。
QABでは、沖縄戦の語り部や教育現場に携わる人々に取材。沖縄がこれまで積み重ねてきた「平和教育の歩み」と、これからのあり方を辿ります。
糸満市にある県平和祈念資料館。常設されている展示室には、沖縄での地上戦に至るまでの経緯や、戦争体験者の証言が並びます。その一角にある「むすびのことば」。そこには、不戦への強いメッセージが記されています。
久保田曉さん「代償を払って得た、ゆずることのできない私たちの信条、戦争は二度とあってはいけないという気持ち。これが一番正しいことだということを、自分の心の中にうえつけて生きているんです」
久保田曉さん(81歳)。長年、教員として平和教育を担ってきた一人です。
久保田曉さん「体験者を呼んでお話を聞くというのが各学校の取り組みでした」「父も母も体験者だと母に聞いたと。話をしないと」「もう話をすると涙だけ、語れないということでね」「母はそれはできないと」「でもそれを話さないとあの戦争のこと、みんな分からないよ」「悲惨さとかね、あんな状態にいたという状況わからないよと」
長い間、戦争の体験を語ろうとしなかった母、千代子さん。しかし、「二度と子どもたちに同じ思いをさせたくない」と、自身の体験を話しはじめました
久保田曉さん「中学生を前にして体育館でマイクを持って話をさせるとね、一つ一つ戦場の話を語っていくんですね。そして、子どもたちが一生懸命してきてるでしょ。あの姿に母は感動して、ああ、これ伝えていかないといけないねって」「母が語るそばで私が解説をしたり、あるいは紙芝居を見せたりして、いろいろ二人三脚でやりましたね」
戦後、沖縄では「慰霊の日」を定め、各学校でも「平和を考える日」として特設授業が定着。戦争体験者の声に耳を傾ける平和講話が数多く行われてきました。さらに、アメリカ軍基地の問題についても、国語の授業で取り上げたり、周辺住民の声を聞くなど、時代とともに工夫を重ねながら続けられてきました。
しかし、今年3月、名護市辺野古沖で研修旅行中の高校生らを乗せた船2隻が転覆し、女子高校生と船長の2人が死亡する事故が発生。SNS上では、平和教育のあり方を疑問視する書き込みが見られるようになります。
修学旅行などで基地問題を扱ってきた教員は懸念を口にします。
教員「基地を見せることだったりだとか、その時にどういうふうに見せるのかっていうことは、やっぱり気にされる保護者の方は当然いらっしゃると思いますし、管理職も気にしているっていうのも事実ですので」
教員「萎縮と言い方がされますけど、それがないかと言われたらある部分はあるのでは」
事故をきっかけに、標的となった平和教育。戦争の記憶を受け継ぎ、今も続く基地問題とどう向き合うのか。
沖縄が重ねてきた平和教育の足跡と、これからのあり方を見つめます。
事故後、SNS上では平和教育の対象を沖縄戦のみに限るよう求める投稿や、平和教育そのものを否定するような声が相次いで発信されています。
沖縄戦の実相を知ること、そして戦後から現在へと続く基地問題に向き合うことを大切にしてきたのが沖縄の平和教育です。
テレメンタリー「私たちの信条~沖縄 平和教育の足跡~」は、来月1日(あさって)、深夜1時45分からの放送です。ぜひご覧ください。
