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太平洋戦争当時、アメリカ軍の魚雷攻撃を受けた学童疎開船「対馬丸」が沈没した事件から8月22日で82年です。那覇市では慰霊祭が行われました。
学童疎開船「対馬丸」は82年前の1944年8月22日、沖縄から疎開先の九州に向かう途中、鹿児島県悪石島の沖合でアメリカ軍の潜水艦の魚雷攻撃を受け沈没。乗船していた学童の子どもたち784人を含む1484人が命を失いました。
那覇市の小桜の塔では、慰霊祭が執り行われ、関係者らが手を合わせていました。
兄を亡くした玉城雄一さん「僕も対馬丸に乗るところだったわけよ。港まで行って並んでいる時に僕は気絶して病院に運ばれた。兄貴はすぐに乗った。だから僕は(兄に)生かされてありがとうございましたというだけ」
対馬丸記念会・高良政勝終身名誉会長「なぜ子どもたちが疎開しなければならなくなったのか。戦争で得るものは何もないという思いでいっぱいです」
