著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。

沖国ヘリ墜落からことしで21年が経つなか事故当時の記憶を伝え続けようと結成されたサークルがあります。サークル創設に関わった沖縄国際大学の卒業生の思いとバトンを受け取る在校生を取材しました。

2004年8月13日 アメリカ軍海兵隊所属のCH53・大型輸送ヘリコプターが沖縄国際大学へ墜落

実近記者(当時)「我々は今、ヘリコプターが接触した校舎の中にいますコンクリートの破片も中に入り込んでいてガラスも大きく割れ、目の前にヘリコプターの残骸が横たわっています」

当時、大学は夏休み期間中で、学生や住民らに人的被害がなかったもの、現場はアメリカ軍に規制され、警察や消防、メディアはおろか大学の関係者でさえも入ることはできませんでした

米軍関係者「No way」「Get out!」

実近記者「米軍関係者に激しく撮影を拒否されます」

沖国ヘリ墜落から21年~学生でつなぐ継承の記憶~

事故当時、沖縄国際大学・社会文化学科の1年生だった新里ゆいなさん。あの日、自宅でテレビを見ていたところ、ヘリ墜落のニュースを知ります。

新里ゆいなさん「テレビ見ていたらテロップが出てきて、それでえってなって(家族からの)電話が鳴りだしたりとかして。外、カーテン開いてみたらなんか煙がちょっと寄ってきてるなみたいなそういう状況でした」

墜落から1週間後。規制が解かれたと知った新里さんは、大学へと向かいます。そこで目にしたのは、黒く焼け焦げた本館でした。

新里ゆいなさん「後日、前を通ってみたら壁がすごいああいう状態だったので、本当に起こった出来事なんだなって改めて感じた」「危険だからこそ、撤去して行くべきものだなっていうのは元々思っていたことなんですけれど、事故後さらにやっぱり危険なんだなっていうのを改めて実感したところです」

墜落から3年後、新里さんはあの日の記憶を風化させないため「軍用機の飛ばない空、戦争のない世界」をテーマに、仲間とともにイベントを企画。実行委員として、学生らのメッセージ展示したり現場の模型作成にも携わりました。

さらに、基地問題や沖縄戦の継承を若い人たちの力え伝えようと、平和ガイドサークル「SMILIFE」を立ち上げ、県外から訪れる修学旅行生へ沖縄の歴史や問題を伝え続けてきました。

沖国ヘリ墜落から21年~学生でつなぐ継承の記憶~

新里ゆいなさん「モニュメントの前でどういうことがあってこういうふう現状があるよとか、あとは屋上に登ったら普天間基地が一望できるので、屋上に登ってこれだけ近い状況を見てもらったりとか、そういうことをしていました」

現在、沖縄市の中学校で社会科を生徒に教える新里さん。授業ではその時々に起きた、アメリカ軍関連の事件事故の話をすることがあると言いますが、沖縄戦やヘリ墜落の日を節目に今に繋がる問題として、世の中に関心をもってほしいと話します。

新里ゆいなさん「まずは知らない子たちが結構います。え?みたいな墜落したのみたいな」「私の中で、もちろん継承していくことは大事だと思っているんですけど、8月13日だけにこだわるっていうよりは常々今、見ていくことが大事かなって思っています」

新里さんらが立ち上げた「SMILIFE」ことしで創設から19年目を迎えますが、そのバトンは後輩たちへしっかりと受け継がれています。現在、サークルにはおよそ30人が所属。沖縄戦や基地問題を、全国から訪れる修学旅行生に伝えています。

沖縄国際大学 本原優さん「事故の様子とか説明するんですけど、その時に知ってもらうために8月13日が落ちた日っていうことを分かりやすく見せながら当時のこういう25メートル程度の大型ヘリが皆さんが今いる場所に落ちてきましたっていうことを説明しながら」

沖国ヘリ墜落から21年~学生でつなぐ継承の記憶~

そう語るのは、SMILIFEで活動する大学4年生の本原優さん、そして城間優花さんです。ふたりは、私生活のなかで基地の存在を常に意識させられていると話します。

沖縄国際大学 本原優さん「大学の近くに住み始めて、一番思ったのがやっぱりこの基地が近くにあることのうるささをものすごい感じて、大学の授業でもねうるさく飛んで1回授業がストップってこともが日常茶飯事であったりしますね」

沖縄国際大学 城間優花さん「自分はやっぱりガイドするときに、やっぱり改めて落ちたのは20年ぐらい前かもしれないけど、今でもやっぱり落ちる可能性ってあるんだなっていうのをすごく実感します」

墜落から21年、学内でも、あの日の出来事について「知識はあっても、関心が薄い学生が多い」と話す2人。それでも、風化させず継承していくため城間さんらは「SMILIFE」の活動を通してあの出来事を見つめ続けます。

沖縄国際大学 城間優花さん「ここは沖縄の土地で自分たちの大学なのに、なんでアメリカ軍に自治権を奪われないといけないんだろうっていうところがもうずっと問いとして、これからもずっと考えないといけないことなのかなというふうに思ってます」

沖縄国際大学 本原優さん「観光としての沖縄という面ではもあるんですけど、それ以外にも、この課題を抱える沖縄っていうのを県外からくる中高生たちを相手に教えていって、そこから中高生たちが自分たちの家に帰ったりとかして、その話をすることで、どんどん広がっていってほしいなって思っていて」「これから30年とか40年とか、もうずっと続いて継承していきたいなっていうのは思っております」