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1945年4月1日、アメリカ軍が沖縄本島の西海岸から上陸、この日から本島での本格的な戦闘が始まり、翌日、読谷村のチビチリガマでは、避難していた住民83人が「集団自決」によって犠牲となりました。戦後81年が経ち、体験者が減少する中、おととい慰霊祭が執り行われました。

読谷村のチビチリガマで執り行われた慰霊祭、犠牲者の遺族や関係者などが参列し、ガマの中の祭壇に静かに手を合わせ犠牲者を追悼しました。

彫刻家 金城実さん「81年前の過去のことだけではなくて、未来につながっていくという希望があります」「このチビチリガマでの事件を無にしないように、これからも頑張っていきます」

読谷村チビチリガマ慰霊祭 戦後81年 集団自決の実相と平和訴え

1945年4月1日。大勢のアメリカ兵が、読谷から北谷にかけての海岸から上陸、本島での沖縄戦の始まりです。

住民は戦禍を逃れようと、各地にあったガマに身を隠しました。およそ140人の住民が避難していたチビチリガマでは、アメリカ軍上陸の翌日4月2日「アメリカ兵に捕まれば殺される」と信じていた住民が集団自決に追い込まれ、毒薬の注射を打つなどして幼い子どもを含む83人が犠牲となりました。

慰霊祭の参列者は戦後81年経たことしも、平和への思いを発信します。

「チビチリガマ遺族会は、沖縄戦で犠牲になられた御霊を供養し、恒久平和を願ってきました」「チビチリガマが恒久平和実現の発信地になることを望みます」

読谷村チビチリガマ慰霊祭 戦後81年 集団自決の実相と平和訴え

戦争体験者が減少していく中、遺族や関係者は悲惨な戦争を二度と起こしてはならないと訴えます。

金城実を支える会 服部良一会長「こういう戦争の苦しみを、被害を、特に若い人たちに、いかに伝えていくのかということが大切だと思うんですよね」「慰霊祭は続けていくということが本当に大切だと思います」

ガマの入口にある三線を持った像、彫刻家、金城実さんが制作した「世代を結ぶ平和の像」です。

チビチリガマで家族を亡くし、悲しみに打ちひしがれていた天久昭源さんが三線に出会い、立ち直ったというエピソードを基に制作されました。

彫刻家 金城実さん「この中は、全部修復しました。もう40年になりますからね」「このチビチリガマというのは、なんで身内同士が殺し合いをしたかということを学習する場所なんだ」「平和に対する行動を起こすこと、それがチビチリガマが我々に最も希望するところです」

読谷村チビチリガマ慰霊祭 戦後81年 集団自決の実相と平和訴え

戦後81年、時間が経過しようとも悲惨な戦争を忘れてはいけない「チビチリガマ」が平和の尊さを訴え続けます。

ロシアによるウクライナへの侵攻や、アメリカ、イスラエルによるイランへの攻撃の影響を最も受けているのは、現地で暮らす人々です。多くの市民が巻き込まれ、犠牲となった81年前の沖縄戦を思い起こさせます。

1日も早い紛争終結を望みながら、今月から6月にかけて、沖縄は改めて戦争と平和について考える時期を迎えます。

チビチリガマでは、住民たちが身内に手をかけるという極限状態に追い詰められていたんですよね。戦争というものが、人の心をいかに恐怖に陥れるのかというのが、わかる出来事ですよね。

そして、今でも世界では、戦争で現地に暮らす人たちが苦しめられています。1日も早く紛争が終わることを祈りながら、平和の大切さを一人一人が、考えることが求められています。