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「県子ども会育成連絡協議会」の元会長で沖縄戦の集団自決を巡る「軍の強制」を示す教科書記述の回復を求め活動してきた、玉寄哲永さんが2025年12月8日に、亡くなっていたことが分かりました。91歳でした。玉寄さんは、「県子ども会育成連絡協議会」の会長として子どもたちの健全育成に長年、尽力してきました。
2007年、高校歴史の教科書検定で、沖縄戦の集団自決について日本軍による強制を示す表現が削除された問題では、その年の9月に開かれた、11万人あまりが集まった県民大会で実行委員長も務めました。
その後、県民大会の構成団体メンバーらでつくる「9・29県民大会決議を実現させる会」で世話人などとして活動。玉寄哲永さんは「米軍が上陸して住民が追い込まれて、死を選んだようにも読み取れる。こういうことをさせてはいけない。日本軍の命令(の教科書記述)が再現されるように歴史の真実を書いてくれと言い続けてきた」と述べました。
玉寄さんは、次世代に戦争を美化せず実相を伝えようと教科書のほか、沖縄戦をめぐる歴史認識やアメリカ軍基地の問題などでもたびたび発言してきました。
関係者によりますと、玉寄さんは、病気療養中のところ、2025年12月8日、那覇市内の病院で亡くなったということです。
