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糸満市のひめゆり平和祈念資料館。その中の1つの展示室では、ある歌が流れています。流れているのは「別れの曲(うた)」。

この曲は、ひめゆりの生徒たちにとって特別な存在です。

ひめゆり平和祈念資料館・普天間朝佳館長「別れの曲は、沖縄戦間近の1944年3月のひめゆり学徒たちの卒業式で歌う予定の歌だった。今で言うと卒業ソングですよね。」

たどる記憶つなぐ平和「詩い継ぐ ひめゆりの『別れの曲』」

ひめゆりの生徒たちが陣地構築作業に駆り出された動員先で、作業の指揮にあたり詩作の才能があった太田博(おおた・ひろし)少尉が翌年に卒業を控えた生徒たちに贈った「相思樹(そうしじゅ)の歌」という詩に、当時の音楽教師、東風平恵位(こちんだ・けいい)さんが曲をつけ、卒業式の曲として「別れの曲(うた)」というタイトルをつけたこの歌。

しかし、卒業式を目前に控えた1945年3月、生徒たちは沖縄陸軍病院に動員され艦砲が轟く中、陸軍病院で行われた卒業式で「別れの曲(うた)」が歌われることはありませんでした。この歌の楽譜は戦争で失われたものの戦後、ひめゆり同窓生たちの記憶によって蘇り、毎年の慰霊祭でも歌われています。

しかし、卒業のはなむけとして巣立ちの別れへの思いが込められたこの歌は戦争によって、命を落とした友人や恩師への鎮魂の思いも込められるようになりました。

たどる記憶つなぐ平和「詩い継ぐ ひめゆりの『別れの曲』」

ひめゆり平和祈念資料館・普天間朝佳館長「この歌の3番目の「いざさらばいとしの友よ」っていう歌詞。「の日かまた 再び逢わん」というところに来ると、沖縄戦で亡くなってしまった友達が、もう会うことができない友達のことが思い出されて涙が出て歌うことができないとおっしゃる方もいます。」

戦争から生き延び、この歌を歌い繋いできたひめゆり同窓生も、この歌につらい思いを重ね合わせていました。

2011年 ひめゆり平和祈念資料館・館長(当時)島袋淑子さん「『相思樹の歌』だったのに、それが『別れの曲』になってしまった。そこまでお考えになってなかったはずなんだけど、その歌が鎮魂の歌になってしまった」

たどる記憶つなぐ平和「詩い継ぐ ひめゆりの『別れの曲』」

2011年 沖縄県女師・一高女ひめゆり同窓会・理事長(当時)本村ツルさん「『業成りて巣立つ喜び』はあるんですけど、またいつか会おうねと言ったのに戦争で会えなくなったという。歌ったときに戦争の事、お友達の事が思い出されて」

ひめゆりにとって、特別な意味を持つ「別れの曲」。今、この歌が新たな形で歌い継がれようとしています。

慰霊の日を間近に控えたこの日、「別れの曲」を歌うのは人気バンド・MONGOL800のボーカル、キヨサクさんとシンガーソングライターの沢知恵(さわともえ)さん。

たどる記憶つなぐ平和「詩い継ぐ ひめゆりの『別れの曲』」

ことし、キヨサクさんが中心となって「詩(うた)い継ぐ沖縄慰霊の日プロジェクト」が立ち上がりました。

MONGOL800・キヨサクさん「仰々しくピークを慰霊の日に持っていくのもいいんですけど、その翌日は、前日は、来週はじゃないですけど」「戦後70年の節目にも盛り上がりを見せましたけど、じゃあその間の10年はゼロベースに戻る。そういうことに歯がゆい部分もあった」

このプロジェクトは様々なクリエイターやアーティストとコラボをし、特設サイトやSNSで平和に対するメッセージを発信しようと始まったもので、今回はそのはじまりとして「別れの曲(うた)」を発信しています。

たどる記憶つなぐ平和「詩い継ぐ ひめゆりの『別れの曲』」

このプロジェクトを立ち上げたのは、常日頃から平和へのメッセージを発信したいという思いからでした。

MONGOL800・キヨサクさん「無意識にでもこのアカウントにいけば常に発信されている、アーカイブをしていけば学べる。新しい作品も生まれ続ける。」「僕たちができる側面を十二分に使って、メッセージを発信していけたらなと」

今回のプロジェクトのスタートとして発信される「別れの曲」。ハンセン病療養所の音楽文化研究も行う沢さんは曲に対して気づきがあったといいます。

たどる記憶つなぐ平和「詩い継ぐ ひめゆりの『別れの曲』」

シンガーソングライター・沢 知恵さん「(曲が作られた)1944年って、8分の6拍子の曲ってほとんどないんですよ。行進させるための4分の4拍子が圧倒的に多くて、行進できない曲が本当にこの年にうまれたのって」

キヨサクさんも実際に歌ってみてわかったことがあったと話します。

今回の収録には、ひめゆり平和祈念資料館の普天間館長も立ち会っていました。

普天間館長「いつも慰霊祭で、みんな涙ぐみながら歌っているので悲しい曲のイメージが染みついてしまったんだけど、これが本来の卒業して未来に向かっていく曲なんだろうなと」

キヨサクさん「成り立ちを知ってしまっているから、その側面が離れないじゃないですか。卒業式で歌えなかったという事実はあるけど、僕たちができる表現、本来の作り手2人が込めた思い、シンプルにめちゃくちゃいい曲だなと」

旅立ちを祝う歌が戦争によって友への鎮魂の歌としての側面を持つことになった「別れの曲」。戦後80年の節目のことし、平和を発信する意味も持って歌い継がれていきます。

たどる記憶つなぐ平和「詩い継ぐ ひめゆりの『別れの曲』」

MONGOL800・キヨサクさん「日常的に戦争に加担してしまっているという言葉をを聞いていたので、じゃあ日常的に平和に加担しているという言葉があってもいいだろうと。日常的に平和に加担するって素晴らしいことじゃないかと。それを無意識レベルでできるような発信の仕方ができたらなと思う」


 【公式】詩い継ぐ6月23日 沖縄慰霊の日プロジェクト (#623okinawa)

たどる記憶つなぐ平和「詩い継ぐ ひめゆりの『別れの曲』」