※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。

首里城でいま何が行われているのか追いかけ続ける「復興のキセキ」です。今月は、令和の復元の現場を取り仕切る総棟梁にスポットをあてます。実は「平成の復元」時に副棟梁を務めていた人物です。

前回よりも良いものにしたい、そしてこれまで培ってきた技術を沖縄の大工に伝えたいと妥協を許さない姿勢で正殿の復元と向き合っていました。

山本総棟梁「私の思いも技術も経験も今の職人さんに受け継いでもらえるといいなと思う」

この道半世紀の大ベテラン、宮大工の山本信幸さんです。今回の復元では、現場を仕切る総棟梁として、漆塗装や電気設備などの幅広い業種や関連機関との調整役を務めます。

山本総棟梁「若い頃は薬師寺金堂・西塔中門という復元に10代くらいからですかね、後は、北の方から言うと函館の奉行所、柴田城、朝倉氏遺跡、福井城、最近では高松城、鳥取城、変わったところでは歌舞伎座もやっています。今建っている歌舞伎座」

3月復興のキセキ 30年ぶりの正殿再建に再び携わる宮大工

頂きが見えない建築の奥深さに心惹かれた山本さんは、これまでに名だたる文化財の新築・修復に携わってきました。そんな山本さんが31歳の時に携わったのが「平成の首里城の復元」です。

山本総棟梁「打ち合わせ出たり図面書いたり、原寸(図)書いたり材料仕入れたりというようなそっち側を担当したんです」

1989年からおよそ4年間福井から沖縄に移り住み、副棟梁として現場に立ち続けました。

山本総棟梁「首里城というのは割と中国・韓国からの影響を受けて、どちららかというと大和の影響が少ない」「それと、かなり大きな大建築、材木もたくさん使いますしまぁそれが30代そこそこですから、今思うとよくやったなという気がしますよね」

台風が多いため柱や軒の数が多いという構造など様々な国と地域の文化が融合し築城された首里城は、これまで山本さんが手掛けてきた建築物とは勝手が違っていたといいます。また当時、山本さんたちを悩ませたのが沖縄の人材不足です。

3月復興のキセキ 30年ぶりの正殿再建に再び携わる宮大工

Q沖縄ってコンクリート住宅が多いから?山本総棟梁「大工さんと言って来て道具箱開けたら道具が入っていなくて、左官のコテが入っているみたいな」

戦後のアメリカ統治下ではコンクリート住宅が主流だったため木造建築を手掛けた経験を持つ大工が沖縄には(ほとんど)いなかったのです。

経験豊富な山本さんたちの技術を伝える形で作業は進められました。

山本総棟梁「あの当時で確か10人弱くらい(県内出身者が)集まったと思うんですけど割とご高齢の方が多かった」

山本総棟梁「言葉が我々となかなか通じないところがあって一生懸命我々に通じるように標準語に近い形で一生懸命喋っていたのも印象的ですね」

3月復興のキセキ 30年ぶりの正殿再建に再び携わる宮大工

山本総棟梁「素屋根を落として全体の形が見えたときというのは感動しましたね」

仲間とともに造り上げた首里城が一夜にして焼失したあの日のことは決して忘れられないといいます。

山本総棟梁「朝早くに友達から電話があってちょっとテレビ見ろっていうのでテレビ見たとたんにあの状況だったので…」「まぁ1日ぼーっとしてあの状況見ながら1日ぼーっと過ごしたような感じでしたね」

3月復興のキセキ 30年ぶりの正殿再建に再び携わる宮大工

山本総棟梁「最後に龍頭棟飾(りゅうとうむなかざり)の鉄骨がね、がさっと落ちるという燃えている最中もだんだん骨組みが見えてくるじゃないですかそれ全部私知っていますもんね、どこがどうなっているのか」

正殿を復元するにあたって一から首里城を造り上げた経験を持つ山本さんに白羽の矢が立ったのです。

山本総棟梁「夕方ぐらいからぼつぼつと当時の人から電話があって、話していくうちに徐々に気持ちが落ち着いてどう関われるかわからないですけどしっかり30代であの頃、図面から打ち合わせからいろんなことをやっていたので、なんかの形で協力できるかなという思いはあの時に思いましたね」

山本総棟梁「あれから30年いろんな仕事をしてきましたから」「いろんな経験をたくさん積んでいますしそれがもう一つ生かせればなという気はしていますね」

現場ではありし日の姿を取り戻そうと一歩一歩正殿再建に向けた動きが進んでいます。木の伸び縮みを防ごうと楔を打ち込んだり、木材の形を整えようとかんな掛けを行ったりと正殿の柱や梁となる木材に着々と加工が施されていました。

また、正殿があった場所に建設中なのが、巨大な仮設屋根・「素屋根」です。木造の正殿を組み立てる時に、雨風から守るためのもので7月末の完成を目指し、今月は骨組みができはじめました。

3月復興のキセキ 30年ぶりの正殿再建に再び携わる宮大工

素屋根には3階建て・エレベーター付きの見学デッキが併設される予定で、正殿が形作られていく様子を間近で見られるということです。

近藤棟梁「できればカーテンをつけてほしいなというのが本音ですけど。」

ガラス張りの現場で作業するのはちょっと大変?原寸場では正殿の一部を実物大で描く「原寸図」の製作が始まっています。原寸図は軒の反りや傾斜など設計図面上からは確認できない細かな部分の製作に必要なもの。高度な技術が求められることから、製図は棟梁を務める宮大工1人が担います。

近藤棟梁「建物の外観が決まってくるものなので、言ったら一番手が抜けないところでもあるし責任感はすごく感じながらいつも作業していますね」

山本総棟梁「一つはこれ今、仕上がりなんですけど」「この赤いとこと白いところありますよね。これ(赤い部分)がなるだけ真ん中に入るようにセンターを決めて、場所については要するに節があるとかないとかいろいろ欠点がありますよね。それをうまく避けるようにして向きを決めています」

3月復興のキセキ 30年ぶりの正殿再建に再び携わる宮大工

国内から調達された選りすぐりの木材、一本一本の性格を見抜き、どの場所でどのように使うか判断するのも山本さんの仕事のひとつです。腐れにくく強度が高い赤みのある部分を中心に加工を施し、木味のいいものは人目につく箇所に…という風に用途は決まっていくのだといいます。

山本総棟梁「(国内)いろんな産地から入ってきているので、材の質がみんなちょっとずつ違うんですよ。色もちょっと違うでしょう。」

山本総棟梁「Bの11GDの中1ですから、(正殿二階の)おせんみこちゃ辺りですね。」

総棟梁として現場に立つ山本さんを周囲はどう見ているのでしょうか。

近藤棟梁「厳しい人です。やっぱり。」「妥協しない、手は抜かない、よそよりクオリティのいいものをつくる。それをずっと貫いている人だと思います。」

近藤棟梁「すぐ聞ける昔はこうやっていたとかそういうのがすぐ答えてもらえるのですごく心強いですね。」

2026年秋の完成を見据え、首里城とともに歩む山本さん。30年前の課題でもあった人材育成の面でも決意を新たにしています。

3月復興のキセキ 30年ぶりの正殿再建に再び携わる宮大工

山本総棟梁「今回若い沖縄の方も入っていますので、」「何人もこしらえなくてもいいと思うので、しっかりやれる人間を1人でも2人でも育てて帰りたいなと思っている」

山本総棟梁「県民の方にとってはまた違う深い思いがあると思うので、その期待に応えられるように平成をちょっと超えるぐらいの良いものをこしらえたいなと思う」

あれから30年。培ってきた確かな匠の業と新たな仲間とともに平成に負けない正殿を築き上げようと、きょうも山本さんは現場に立ち続けます。

山本さん以外にも何人か、平成の復元を経験した大工たちが今回30年ぶりに再建の現場に戻り作業に取り組むということで、成長した自分たちの力で、平成の復元に負けない正殿をと意気込む姿がとても印象的でした。また、今月からは現場では細かな作業も始まっていて正殿建築に向けた動きが加速していると感じました。

令和の復元のテーマは「見せる復興」です。今しか見られない再建の現場をQABでは今後も伝え続けます。