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復帰前後の沖縄で一斉を風靡した「生きる伝説」のロックバンド「紫」。リーダーであるジョージ紫さんは、「アメリカ国籍のウチナーンチュ」という特殊な生い立ちを持ちます。アメリカ世からヤマト世への移り変わりを、彼はどのように駆け抜けたのでしょうか。

オキナワンロックのパイオニア・ロックバンド「紫」。リーダーはキーボードのジョージ紫さん。

ジョージ紫さん「ダンスとかロック、あるいは、ディスコとか、そういうのがどんどんはやってきて、沖縄にこういうポップとかロック音楽が根付いた下地があって」

日系2世で軍属の父と沖縄出身の母親を持つジョージさんは沖縄生まれ・沖縄育ちのウチナーンチュでありながら、国籍はアメリカでした。

ジョージ紫さん「アメリカンスクールに行くとね、友達とか知り合いとかが、沖縄とか日本の悪口を言うんですよね。おうちに帰ってまわりの友達と遊ぶとアメリカとかの悪口いっぱいいう人がいて、こっちは「なんでこんなみんなお互いの悪口ばっかり言うんだろう?」「私は何人なんだろう」といつも思っていたんだけど」

復帰50の物語 第22話「伝説のバンドが感じた本土復帰」

オキナワンロックの存在感を世界中にとどろかせた「紫」は基地経済に支えられながら復興の道を歩む一方で、軍関係者の犯罪被害にも苦しんだ時代だった1970年に結成し、戦後沖縄の歴史とともに本土復帰50年を歩んできました。

ジョージさんのバンドマン人生のスタートは「金武町」にありました。

ジョージ紫さん「あそこがメイフラワーというクラブで紫が初めて演奏した場所です」「小規模でもここもそれなりにこのクラブにはいっぱいお客さん来るし、楽しかったです」

小学校から高校までを基地内の学校で過ごした後、渡米して大学時代を過ごしていたジョージさんは、ベトナム戦争の勃発で戦争に傾くアメリカの社会情勢に危機感を感じたため沖縄に戻ってきました。

幼い頃から続けていたピアノの腕を生かして、キャンプハンセン近くの繁華街にあったクラブ・ジプシーで、キーボードとボーカルとしてロックバンドの礎を築きます。

みーこさん「50カ年ぶり!こっち、ジプシーだったさ。ジプシー(に従業員として)いたよ」

復帰50の物語 第22話「伝説のバンドが感じた本土復帰」

ジョージ紫さん「え?本当に!?」通りがかりの人「紫、最高!」

ジョージ紫さん「ありがとう」

ジョージ紫さん「金武のジプシーやってる頃は、そこを12時までやったら、そっからすぐコザの方に戻って、ゲート通りのアスターハウスということで演奏してた頃があります」

嘉手納基地があるコザ市が「紫」が飛躍を遂げる礎となった場所です。パークアベニューに自分たちのクラブを立ち上げ、演奏を重ねて腕を磨き続けました。

ジョージ紫さん「青春を謳歌した場所かな。僕ら、沖縄のロックミュージシャンにとっては、自分たちの(演奏の)腕を磨いて、この向上心をかきたてられる場所でもあったと思う」

コザをメインにバンド活動する中で、ジョージさんも、時代の渦に巻き込まれます。

ジョージ紫さん「周りが騒がしいから外に出てみたら、もうこの辺で本当にすぐ米軍車両Eナンバーとか、もうひっくり返せされて炎上してたんです。燃えてたんですよね」

1970年12月、本土復帰を目前にしていた時期に起きた「コザ騒動」。交通事故を起こしたアメリカ兵をアメリカの憲兵隊が釈放しようとしたことが発端となり、アメリカ統治による圧制を受け続け、積もりに積もった沖縄の人たちの不満が爆発し、軍関係者の車が多数焼き払われました。

ジョージ紫さん「一目で「これはやばいな」要するに僕の父の車もEナンバー。(軍属として働く父から)車借りてたのね。それでそこに停めてたの。そこからもう急いで車出して警察とか軍のMPたちがこの催涙ガスを投げて、もう煙が立ちこめてたんですよまだ。その催涙ガスで臭いしすごいシーンをまだ覚えてます」

復帰50の物語 第22話「伝説のバンドが感じた本土復帰」

基地の街を包み込む怒りの炎が起きたのは、「紫」の結成から、わずか1カ月後のことでした。沖縄とアメリカの両方にルーツを持つジョージさんは当時、複雑な思いを抱えていたことを今でも覚えています。

ジョージ紫さん「僕もどっちかというと父が軍属で嘉手納基地で働いてて、僕は(日系)3世で、国籍がアメリカだったんで、アメリカ側という感じだけど、でもルーツは沖縄なんだし、やっぱり気持ちはわかるわけよね」

戦後沖縄の歩みとともに成長を遂げた「紫」は沖縄が日本に復帰した1972年以降、本土デビューを果たすと瞬く間にスター街道を駆け上っていきました。

ジョージ紫さん「復帰50年確かにあったという間に経ってしまいましたけど、沖縄の本当に人たちの思った通りになったかというと必ずしもそうでもないし、ゆっくりゆっくりと変わっていくしかないんじゃないかな」

結成から半世紀以上過ぎてもなお、世界を圧巻した演奏は健在!。基地の街で成長した誇りを胸に伝説のロックバンドが沖縄の思いを共有する音楽を紡ぎ続けます。