5月15日で沖縄が本土復帰して半世紀となりました。この日を節目と感じた人、現状、何も変わらないと感じた人、改めて復帰について知ろうとした人、様々な思いが交錯した1日となりました

女性「復帰した時の喜びと、あとは今の現状でしょうかね…そういうのを考えると複雑な気持ちです」

男性「いまだにあまり変わってないんじゃないかって、基本的には変わってないんじゃないかというイメージが強いんですよ」

中学生「沖縄の節目の年となる日なので、きょうは大切な一日なのかなと実感しました」

1972年5月15日。沖縄が本土復帰を果たしました。そして、きょうは、51年目の歩み、その第一歩となる日です。

高齢の県民女性「今年67歳で、復帰(の時の)年齢は17歳、ちょうど復帰の年の日はすごい大雨でね、こんな(きょうみたいな)大雨じゃなくて、県民の涙みたいな、一日中雨でしたね」

式典が行われたきのう、朝から降り続いた強い雨が当時の記憶を呼び覚まします。

本土復帰50年 様々な思いが交差した一日

前泊甫美さん「平和な憲法のもとで生活できる祖国に復帰するんだと思いが強かった。ところが、ふたを開けたら、県民が思ってきた内容じゃない。抗議をしなくてはいけないというのがここの集会だった」

復帰の日の雨は、県民が望んだ形の復帰が叶わなかったことから「怒りと失望の涙」とも言われました。

前泊美紀那覇市議「先人たちがどのように思い、復帰に向き合ったのか、私たちに何を託したのか、それをしっかりと胸に刻みながらこれからは復帰っ子としてやれることをやっていきたい」

屋良朝苗初代県知事「ここに沖縄県が発足したことを高らかに宣言する」

玉城知事「沖縄県民が渇望し続けている沖縄の本土復帰の意義と恒久平和の重要性について、国民全体の認識の共有をはかっていただき、すべての県民が真に幸福を実感できる平和で豊かな沖縄の実現に向けて誠心誠意取り組んでいただきますよう申し上げるものであります」

あれから50年…、復帰して良かったと”心の底から分かち合える”ような晴れ間がやってきたと言えるのでしょうか…。

佐藤栄作元総理「今日以降、私たちは同胞合い寄って、喜びと悲しみを共に分かち合うことができるのであります」

本土復帰50年 様々な思いが交差した一日

岸田総理「復帰から50年が経つ今もなお、沖縄のみなさまには大きな基地負担を担っていただいています」

日本に施政権が返還されたことで27年間続いたアメリカ軍の統治は終わったものの沖縄に基地が残り続けました。

国土面積、わずか0.6%の沖縄に全国のアメリカ軍専用施設面積の7割が集中していて、50年前に願った「基地のない平和な島」はいまだに実現していません。

宮古島の平和行進に参加した少年「戦争がないように、その気持ちを持って歩きたいです」

玉城知事「復帰から50年経った現在も…米軍人・軍属による事件・事故、騒音、環境汚染等、県民は過重な基地負担を強いられ続けています」

岸田総理「政府としてこのことを重く受け止め、引き続き、基地負担軽減に全力で取り組んでまいります」

本土復帰50年 様々な思いが交差した一日

もろ手を挙げてお祝いムードではないと眉をひそめた人がいます。

平良亀之助さん「何か通り一遍に終わったなっていう感じですね」

50年前、式典に参加した元琉球政府の職員・平良亀之助(たいら・かめのすけ)さんです。きのうは自宅で式典の中継を見守りました。ペンを片手に聞き逃すまいと画面を見つめていたのに、筆がほとんど進みませんでした。

平良亀之助さん「メモする内容が何もないから…、後日のために何か突っ込むために(メモ)やろうかなと思ったけど、あほらしくて…」

平良さんは50年前、沖縄が望みをつづった「建議書」の作成に携わりました。復帰から半世紀経っても沖縄の声に耳を傾けようともしない日本政府に怒りを通り越して心配すら覚えたといいます。

平良亀之助さん「基地のない平和な島の構築をお願いしますということなのに、沖縄側に対する要望に少しでも応えようということじゃなくて、きょうの式典でも、負担軽減に努力するとおっしゃるけど、何をどうしてっていうことはまったく触れない。基地負担軽減だというのは、飾り言葉っていうのかな、なんか、修飾語みたいにしか聞こえないので、だから、これからむしろ不安が募るだけです」

本土復帰50年 様々な思いが交差した一日

宜野湾市出身・元山仁士郎さん「スピーチの中にも辺野古の『へ』の字もありませんでしたし、沖縄県知事をはじめ多くの沖縄県民が望んでいるような要求を聞き入れてくれるというようなことは残念ながら感じられませんでした」

1週間にわたるハンガーストライキで辺野古の新基地建設断念を続けた元山仁士郎(もとやま じんしろう)さん…3年前に埋め立ての賛否を問う県民投票の実現に奔走しました。

宜野湾市出身・元山仁士郎さん「この沖縄の人たちのウムイ(思い)というか、民意というものを重く受け止めていただきたいというふうに思います」

工事を阻止したい県と強行を続ける国、、終わりの見えない泥沼の法廷闘争に発展し、対立は深まるばかりです。

元山さんは、今こそ次の50年を担う若い世代が主体的に行動すべき時だと訴えます。

宜野湾市出身・元山仁士郎さん「沖縄の基地、沖縄の問題というものでなくて、それを押し付けてしまっているのは誰なのかということを、それぞれ一人ひとりのみなさんが自分自身に問うてほしいなというふうに思っています」

復帰を経験した 長濱一男さん「この50年間の沖縄がどうだったのか、あるいは、復帰前後がどんな様子だったか含めて高校生がわかるような内容にしていけたらなと思います」

本土復帰50年 様々な思いが交差した一日

節目の日に行動を起こした高校生たちがいました。

高校2年生・上原帆乃桂さん「復帰っていう言葉は聞いたことはあるんですけど、あんま考えたことがなくて…」

「アメリカ世」から「ヤマト世」への世替わりを経験した元教職員を招いて勉強会を開きました。

復帰を経験した 国吉朝子さん「私たちが考えている復帰ではなかったけれども、復帰しないでいたら無権利状態。復帰してそのなかで、勝ち取っていかないといけない。私たちの課題かなって私は思って」

高校2年生・上原一路さん「私たち若い世代がしっかり学んで受け継いでいかないといけない」

対馬丸記念会・髙良政勝代表理事「沖縄には”命どぅ宝”という素晴らしい言葉があります。それは、”命こそ何物にの代えがたい宝物だ”ということです」

若者代表者あいさつ・県青年団協議会・普天間真也会長「沖縄で繰り広げられた地上戦においても、多くの尊い命がたくさん失われ、そのようななか、先輩方は必死に生き抜いてきました。今、私たちがあるのは、そんな先輩方たちがつないでくれた命であることを決して忘れてはいけません」

一般住民を巻き込んだ地上戦によって4人に1人が犠牲になり、たくさんの尊い命を失った沖縄は、本土を守るための「捨て石」となりました。

戦後、アメリカ軍の統治下に置かれたことで遅れてしまっていたインフラ整備などは復帰後の振興策によって急激に進み、県民生活が向上したという側面があります。

特に、観光業は成長著しく、3年前には沖縄を訪れた観光客が1000万人の大台を超えました。上り調子だった一方で、新型コロナによって観光に偏った県経済の脆弱さが浮き彫りになっています。

全国平均の4分の3程度にとどまる県民所得や”子どもの貧困”といった問題もあり本土との格差は解消されていません。

牧志公設市場の男性「賃金の格差というのもそんなに縮まっていないというのもあるし、沖縄県は小さい島だから、そういう、地場産業とかそういったのは内地と比べてそういうのが、まだまだこれからかなというのはありますね」

市場本通りの服屋の男性「経済的にも学力的にもまだ全国最下位で、そういうのも上げながら、基地問題も同時進行で進めて、いい島になってくれたらいいなと思います」

横たわり続ける様々な問題を解決し、将来の希望を抱ける日本となれるのか…沖縄が問いかけています。

本土復帰50年 様々な思いが交差した一日

玉城知事「なまからん、まじゅん、ちばてぃー、いちゃびらな、やーさい(これからも一緒にがんばっていきましょう)」

天皇陛下のお言葉「沖縄には、今なお様々な課題が残されています。今後、若い世代を含め広く国民の沖縄に対する理解が深まることを希望するとともに、今後とも、これまでの人々の思いと努力が確実に受け継がれ豊かな未来が沖縄に築かれることを心から願っています」

男性「沖縄の復帰50年を考える時に基地の話は外せないのかなと思ってタブー視しないで。飲み会の場などでもケンカしない程度に語り合えたらいいなと思いました」

女性「未来を担う子どもたちや若者が活躍できる島になってほしいなと心から思っております」