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米軍本島上陸から77年 消えた学校の記憶を後世に

77年前の4月1日は沖縄戦でアメリカ軍が沖縄本島に上陸した日です。那覇市では沖縄戦で消滅したある女学校の記憶を後世に語り継ごうと集会がひらかれました。

私立昭和高等女学校出身上原はつ子さん(93)は「学校に兵隊たちは寝泊りしておりました。飛行場を造ったり、高射砲陣地を造ったり、学生はみんなそこに作業しに行くわけですね」と語りました。

集会は、那覇市泊の私立昭和高等女学校の跡地で開かれ、学校の創設者とゆかりのある読谷小学校の児童のほか、平和学習に携わるバスガイドや平和ガイドなどが参加しました。

77年前の沖縄戦当時、昭和高等女学校の3年生だった上原はつ子さんは、「梯梧学徒隊」として動員され友人ら9人を亡くしました。

私立昭和高等女学校出身上原はつ子さん(93)は「あの当時の中学や女学校の生徒がみんな戦争に駆り出されたということは、ご存じないと思います。特に高校生に知ってほしいと思っております」と話していました。

学校跡地で集会が開かれるのは初めてで、上原さんは、学校の存在や梯梧学徒隊について多くの人に伝えていきたいと話していました。