首里城の玉座に彫られた龍の下絵。これは1992年の復元作業の際、作業に携わった石川県出身の彫刻家・今英男さんが所有していました。

今さんは7年前に亡くなりましたが、ご家族が下絵を沖縄県へ寄贈する前に、再建への思いを北陸朝日放送が取材しました。

石川県で首里城正殿の下絵見つかる

2019年10月31日未明でした。沖縄県の首里城で火災が発生し、中心的な建物である、正殿など6棟を焼失しました。

今良子さん「やっぱり本当にショックです。ショックの一言。主人が死んでから、首里城が形見のような気持ちも少しありましたから。」

こう話すのは、金沢市の今良子さんです。ご主人・英男さんは彫刻家で、沖縄戦で焼失した首里城の復元事業で龍を彫ったのが英男さんでした。

石川県で首里城正殿の下絵見つかる

良子さんが工房を兼ねた自宅を整理していたところ、正殿の玉座を飾った龍の彫刻の下絵が見つかりました。

これが焼失する前の首里城・正殿です。なかでも国王が座る玉座は最も格式が高く、権力と幸運の象徴でもある龍がいたる所につらえてありました。

石川県で首里城正殿の下絵見つかる

下絵の原寸大は、幅4メートル、縦36センチで左右に「あうん」の龍が描かれています。

琉球大学名誉教授で、彫刻家の西村貞雄さんとやりとりしながら、完成させていった様子がうかがえます。

良子さんは、今回見つかった下絵を沖縄県に寄贈する予定で、一日も早く元の姿を見たいと話します。

石川県で首里城正殿の下絵見つかる

今良子さん「また私が生きている間に復元されて見に行きたいと思います。首里城ができる前に一度、できてから2回見に行っています。本当に立派な建物でしたからね。すごいーね、きれいだねー、そういう話で。私も誇りに思っていましたから。」

沖縄県では現在、5年後を目指して正殿などの復元作業を進めていて、担当者は、「令和の復元にいきる大変価値のある下絵です。残っていたことに感謝したい」と話しています。

ご覧いただきましたように石川県で見つかった下絵は、首里城復元にたいへん重要な資料になります。前回の復元事業に参加し、彫刻家・今(いま)さんとともに彫刻製作に関わった、琉球大学の西村名誉教授にお話を伺いました。

石川県で首里城正殿の下絵見つかる

琉球大学・西村貞雄名誉教授「私は下絵とか復元した立場ですから非常にありがたいと感じた。ニュースで今さんの下絵が残されてると、(下絵に)メモ書きもされてますので、あの当時のことを直ぐ思い出しました。」

琉球大学名誉教授の西村貞雄さんは、1992年の首里城復元の際、彫刻家・今英男(いま・ひでお)さんに首里城正殿の国王が座る玉座の内規額木(うちのりがくき)と呼ばれる梁の彫刻を依頼しました。

琉球大学・西村貞雄名誉教授「(今さんは)本土の龍とかは彫っていましたたけど、沖縄との違いがありまして、手の表現とか指の表現が本土の物と少し違うところがあると思うんです。顔の表情もですね(本土は)どっちかというと、丸っこくて目が丸っこくて本土の方と違うんですよ。」

琉球大学・西村貞雄名誉教授「今さんは私に違いを指摘したんですね、こっちはこうですよ、彫りの深さなどそういった話をした覚えがあります。」

今(いま)さんが沖縄と本土との「龍」の違いに戸惑い、苦労していたと、当時の様子を語った西村さん、完成した彫刻をみて、西村さんは作業の素晴らしさに魅了されたそうです。

琉球大学・西村貞雄名誉教授「(今さんは)風貌からしても木彫を一生懸命されている感じがしました。私の年齢より上ですから先輩ですから、非常に細かい話がありました。本当に真剣に話されたことが凄く印象に残ってます。」

石川県で首里城正殿の下絵見つかる

琉球大学・西村貞雄名誉教授「(完成した彫刻を見て)私の下絵と縮尺のレリーフを上にして見ましたら丁寧に忠実にやっている(彫った)と感じました。」

今(いま)さんが残した下絵。西村さんは、これから始まる首里城復元の貴重な資料になると話します。

琉球大学・西村貞雄名誉教授「平成の時の復元は下絵を起こすのに時間がかかった、(資料が)ない状態ですから、写真とか絵図から起こしていった。それを今さんがちゃんと彫っていただいたわけですけど、それが完全に(火災で)無くなっています。しかし足跡はきちんと今さんが残していますので、非常にありがたいと思いました。」

琉球大学・西村貞雄名誉教授「平成の復元と違って今回はもっと関心度は高いと思います。それに応える意味でも今さんの下絵は良かったと思います。」