※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。

パラスポーツです。もう1つや並び立つという意味のパラレルという英語からうまれた障がい者スポーツの新たな呼び名です。その体験会が行われました。

コザ・ゲート通りをメイン会場にこの土日行われた沖縄国際カーニバル

会場内には障がい者スポーツパラスポーツの体験ブースが設けられました。沖縄市はパラ陸上の上与那原寛和選手の地元です。今月行われた世界選手権で1500m2位400m4位に入り来年の東京パラリンピック2種目で日本代表に内定。4大会連続のパラリンピック出場を決めています。

上与那原選手もPR パラスポーツ体験

上与那原寛和選手「(東京パラリンピックでは)僅差でのメダル争いになってくると思うので今以上にいいメダルが取れるように全力で頑張って行きたい」

上与那原選手の存在がパラスポーツを広める気運の高まりに一役買っています。使い慣れていない人にとって車いすを思い通りに動かすことは簡単ではありません。健常者がその大変さを共感できるだけでも心のバリアフリーの大きな一歩となります。

インタ車いす陸上を体験した姉妹「結構体力が入そうだなと思った(車いすアスリートは)筋肉すごそう」

車いすバスケを体験した中学生「車いすバスケはひざを使わないからそういったところが違う。いろいろな目線でスポーツを楽しめてそういったイベントは良いと思う」

上与那原選手もPR パラスポーツ体験

体験ブースを担当したのは県内唯一の車いすバスケチームSEASIRSのメンバー。バイク事故で17歳から車いす生活となった井黒男(いぐろ だん)選手は18歳から車いすバスケを始めました。

井黒男選手「車いすを使ってチームワークを高めていくのは難しいが逆にそこが面白い。ぜひいろいろな人に(車いすバスケを)知ってもらえたらと思う」

こちらは陸上やバスケなどと同じくパラリンピック種目のボッチャ。赤・青2チームに分かれ白の目標球に決められた球数の中で自分のボールをより近づけ得点を競います。

上与那原選手もPR パラスポーツ体験

例えば目標球に青のボールが最寄りの赤より2球近いこの状況は青の2点。ですが次に投げた赤ボールが目標球の最寄りになると逆転で赤の1点となります。

指導員森山鷹冬さん「障害があってもなくてもできるスポーツはたくさんあるので、それを通して外に出る楽しさを知っていってより障がい者スポーツが広まればなと思っている」

パラスポーツを知りたい広めたい、極めたい様々な人たちの交流の場となったようです。