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八重山諸島で古くから歌い継がれてきた民謡「とぅばらーま」という名前は、聞いたことがある人も多いでしょう。自然とともに生きてきた人たちの人生や恋愛などを込めた歌は、こんにちまで歌い継がれ、今月18日には石垣市の恒例イベント「とぅばらーま大会」も開かれました。その唄に魅せられ、91歳で大会に挑んだある、男性に密着しました。

那覇市に暮らす、崎山用升さん。この日、ある歌の特訓中でした。

三線を弾く崎山さん「声が・・・これじゃあまずいな」

壁に貼られた手書きの歌詞に、寝室に並ぶラジカセ。

崎山さん「普段はこうして寝ながらね。これ見ながら(練習)さ」

崎山さんは、年に一度石垣市で開かれるイベント「とぅばらーま大会」の予選を勝ち抜ぬき、本大会最高齢の91歳で出場を決めたのです。八重山の民謡とぅばらーまは、その昔から大地に根ざし、自然とともに生きる人々の人生、恋愛、生活の喜びや悲しみをのせ、歌い継がれてきました。

大会前夜思いを即興の歌詞に込め人々はとぅばらーまを歌う

観客の男性「叙情歌をかけ歌で楽しむ農作業の癒し、ね」

観客の女性「とぅばらーまというのは八重山の人にとって教訓歌になってるさ。」

いよいよ大会本番、崎山さんも石垣島にやってきました。

崎山さん「(歌う)あーここが一番の難所。難しいところだから。」

声の調子はどうですか?

崎山さん「ああ、大丈夫。」

91歳で出場を決めた崎山さん、そこには特別な思いがあるようです。

このあたりは変わりました?

崎山さん「ああ変わってる。」

昔はどんなかんじでした?

崎山さん「昔は瓦葺で、その中で目立つのは、ここしかないさ、自分のおうち。瓦屋根の大きいおうち。」

崎山さんの故郷は石垣島です。幼い時、近所から三線の音が聞こえていたのを覚えています。

崎山さん「家族では歌を歌うひと・・・あ、母がいる。母は声がきれいかった。美声な母だったから。」

崎山さんの両親をはじめ、八重山の人々が歌い継いできたとぅばらーま。その言葉の意味は「愛しいあの人と会う」。崎山さんのとぅばらーには、ある女性への思いが込められているといいます。

崎山さん「僕はね、学校卒業して佐賀県庁に入ったわけ。18歳でよ。(近所にあった)医院の看護婦さん。あの人は福岡県の人だったの。ああこうしているうちに、僕は兵隊に徴用されてね。「もしお元気ならば、無事にお帰りならば」って手紙も(満州に)もらったけど、見てからすぐ捨てたわけさね。そういう女々しい振る舞いは、手紙なんかを持つことは禁じると。という時代だったわけ、軍国主義はね・・・いらん話をした。」

八重山で、月が最も美しく輝くとされる十三夜。いよいよ、とぅばらーま大会が幕を開けました。八重山の島々をはじめ、23人の歌い手が登場。そして崎山さんもステージへ

崎山さん「(歌詞)月みりば昔ぬ月やしが変わてぃ行くすや人ぬ心(月はあの頃と同じだけど、変わりゆくのは人の心)」

崎山さん「彼女も元気であるならば、90歳のばあちゃんになっているでしょう。探してもう一遍会ってみたいなという気持ちもある、と。(歌詞)ぬぞとしぬかぬしゃまよー(あぁ、愛しいあの人よ)」

おじいさんのとぅばらーまどうでしたか?

孫の彼女「感動しました。初めて聞いたんです。よかったです。」

孫「また(じいちゃんが)調子乗る。ははは」

崎山さん「来年もし声が出るなら、出場する!」

挑戦しますか?

崎山さん「挑戦する!」