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先週、名護市開かれた枯れ葉剤問題に関する報告会。1枚の写真が注目を集めました。

提供したのは1970年にキャンプシュワブに駐留していたスコット・パートンさん。彼は当時辺野古で枯れ葉剤が使われていたと証言し、枯れ葉剤が入っていたとみられるドラム缶を前に撮影した写真を公表しました。

スコットさんはここ(辺野古)にいるとき、枯れ葉剤が使われているのを目撃した。枯れ葉剤が多く散布されているということで、海岸の小さな川みたいなところで、そこに住んでいた兵隊たちは病気になった。彼らはそこから他の場所に移動しなければならないということでした。

彼は海辺の小川に足を踏み入れると、足の皮膚の皮が剥け落ちたということでした。

1960年代に泥沼化したベトナム戦争。ジャングルでのゲリラ戦に苦戦していたアメリカ軍は、敵が隠れている森を破壊し、兵士たちの食料源を断とうと高濃度のダイオキシンを含む枯れ葉剤を大量に撒きました。それを浴びた人たちからはガンや糖尿病、子どもたちの重い障害が報告されています。

ミッチェルさんは取材の結果、ベトナム戦争当時、沖縄が枯れ葉剤の供給に関して重要な役割を果たしていたのではないかと考えています。

実際、沖縄での枯れ葉剤の使用を暗に認める文書が過去に出されていました。1998年、アメリカの退役軍人省が出した決定文。これは沖縄で枯れ葉剤に晒され、前立腺ガンになったと訴える男性に退役軍人省が補償を認めたものです。

「この退役軍人が沖縄に駐留している間に、枯れ葉剤を浴びたことは信じるに足る事実である。この退役軍人が前立腺がんになったのは、勤務中にダイオキシンに晒されたためだと合理的に認められる。」

また文書では、退役軍人が車道の草木を取り除くために枯れ葉剤が撒かれていたこと、北部で行われた戦闘訓練で枯れ葉剤が使われていたと証言していることも触れています。

名護市議会の調査の結果、パートンさんの写真が撮られた場所は、辺野古弾薬庫地区の海岸ではないかと見られています。住民たちからも気になる証言が次々と飛び出しました。

「キャンプシュワブの下の方で、こんな大きなハマグリを採って、家に持ち帰り塩につけて食べようと思っていたら、真っ黒に油みたいなあれが出たんですよ。海で貝を採って食べていますが、大丈夫か聞きたい。」

「そこ(シュワブ)に入りましたら、岩とか砂とか、完全に漂白されて、真っ白で、潮が満ちたところまで漂白されて、普通岩とか、小石には緑の藻とか生えていますよね。そこが漂白されて真っ白になって、何も生えないんですよ。」

次々と出てくる退役アメリカ軍人たちの証言、そして住民たちの不安の声。しかし日米両政府は沖縄のアメリカ軍施設における枯れ葉剤使用を正式に認めません。ミッチェルさんはこう語っています。

「この問題に関して、真実が明らかになることが沖縄にとっても、アメリカの人々にとっても正義につながる。この問題の解決に向けてつながってほしい。」

そして住民も。

「今から生まれる子どもたちは、どうしたら健康管理ができるか、これが心配。沖縄全体で考えないといけないと思います。」