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沖縄戦が終わって66年。今週23日は慰霊の日を迎えます。ステーションQでは、沖縄戦をどう語り継いでいくかを考えながら、今週5回シリーズでお伝えします。

1回目のきょうは県内各地の慰霊碑で行われる慰霊祭について。戦後66年、慰霊事業に迫るある問題についてです。

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「どうも長い間お待ちかねでした」「本当にね、これですっきりしました。安心しました、私も。ありがとうございました」

新たに刻まれた名を見つめるのは、県の元副知事・新垣雄久さんと弟の敏夫さんです。

糸満市摩文仁の島守の塔。沖縄戦で殉職した島田叡知事や県職員を祀っています。今月7年ぶりの追加刻銘が行われました。

38歳で亡くなった新垣寛保さん。2人の父親です。

新垣雄久さん「おとなしくて何となく大きいように感じた親父でした」

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医者だった寛保さんは、首里から南風原の陸軍病院に向かう途中、艦砲射撃に巻き込まれ亡くなりました。

これまで刻銘がされなかったのは、寛保さんが当時、県病院の職員だったのか、軍医だったのかがわからなかったからです。

島袋愛子さん「お父さんのお名前がこの中で出てきた。ここで戦没場所が。艦砲弾のため戦死した。ここの職歴の中で県の衛生課とかですね。県病院と」

陸軍病院関係者らの戦争体験をまとめた本。ここに寛保さんの名前が記されていました。

『県病院の部長として召集を猶予され、軍民中枢の所在地である首里において、最後まで民間医療に従事されたのである』

見つけたのは、塔を建てた島守の会でした。

新垣雄久さん「関係者の方々がちゃんと書類なんかも集めて、資料なんかも集めてくださった。ありがたいですよ。感謝したい」

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沖縄戦で生き残った県職員らでつくる島守の会。元知事官房の板良敷さんは、当時の島田知事が住民の犠牲を少なくするためいかに尽力したかを話します。

板良敷朝基さん「国頭への疎開を一生懸命やられたし、お米も入れたし、大事な事をこの人はやられた。島田知事は本当に沖縄のためによくやって下さった」

知事の下、県の職員たちも最後まで住民の避難誘導などにあたり、命を落としました。彼らの業績を忘れまいと、60年前、島守の塔は建立されました。

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年に一度の総会、会員を出迎えるのは、ことし90歳になる川上ヨシさんです。現在遺族会員を含む会員は245人ですが、出席したのは20人ほど。

大城盛昌副会長「どんどん高齢化、歳をとっていきますし、会員が増えることはないと思う」

創立時の会員は、この5年間で10人が亡くなりました。島守の会では、永続的な供養のために、塔の管理を県にしてほしいと訴えています。

川上ヨシさん「どうして沖縄県が引き取ってくれないのか。生き残りはこれだけ。だから、再三やっているんだけどね。難しい」

県が2001年に行ったアンケートによると、県内外の慰霊碑の数はおよそ370。琉球政府が海外に設置した2つを除いて、県の管理はありません。

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県担当者「慰霊塔・慰霊碑の管理面については、設置した建立者がやるべきものだという原則がありまして、それに基づいて対応しているところです」

殉職した県職員を祀る塔とはいえ、仮に島守の塔を支援すると、他の団体も殺到してしまうかもしれないといいます。

県担当者「各団体の高齢化等いろいろ問題があるかと思いますけども、これを全部県がやるとなると、物理的にも財政的にもとても厳しい状況」

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近年、すでに遺族会が解散し、管理者のいなくなってしまった塔や碑もありますが、県もまだ具体的な方針を見出せていないのが現状です。

塔を見つめるヨシさん。かつての同僚たちに思いを巡らせます。

川上ヨシさん「皆さんも頑張ったし、自分たちもまた生きている限りは頑張って、せめて皆さんの慰霊をしてあげたいと思っていますけど。いつまで続くかわかりません・・・」

戦後66年、慰霊事業の今後が問われています。