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4月1日に本島へ上陸し、南下したアメリカ軍ですが、首里の司令部に近づくにつれ、沖縄守備軍の抵抗が激しくなり、大謝名、我如古、和宇慶ラインで停滞。そのため、アメリカ軍は、兵力・兵器を補給し、陸・海・空からの総攻撃を計画します

65年前の今日4月19日午前6時。

324門の大砲が一斉に攻撃を開始。空からはのべ650機にも及ぶ飛行機から空爆、海からは艦砲射撃で攻撃します。

中でも、首里防衛線の要となっていた嘉数高地一帯では、最も激しい戦闘が繰り広げられました。

アメリカ軍はこの日、沖縄戦で初めて火炎放射器を投入。一気に嘉数高地を占領するつもりでいましたが、手前には深い渓谷があり、そこに守備隊は狙いを定めて攻撃し、アメリカ軍の進攻を阻みます。

特にアメリカ軍が恐れたのは、歩兵が爆薬の箱を持って戦車に体当たりするという特攻攻撃で、沖縄戦で最多となる戦車を破壊しました。

地獄のような攻防を繰り広げたこの日、結局、アメリカ軍はわずかに戦線を進めただけで、守備隊はほとんどの陣地を死守。

しかし、嘉数高地ではこのあと5日間、激しい戦いが続けられるのでした。