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この日、ある男性に送るビデオメッセージの収録が行われました。男性はニューヨークに住むアレン・ネルソンさん。世界各地で戦場での体験を語り、平和を訴えています。そんな彼の家族から沖縄の仲間に届いたメールはショッキングなものでした。

妻アネットさん「アレンの病気がわかりました。多発性骨髄腫といって血液のガンの中でもあまりない種類だそうです。先生からは「余命2ヶ月から6ヶ月です」と言われました。」

宜野座映子さん「沖縄でたった1回、自分の話をしますよと言ってから、14年目になって、日本全国では2000回以上の話をしてくれたりして・・・。一報を聞いたときは言葉もなかったですね。」

1960年代初頭から、激しい戦闘が展開されたベトナム戦争。ネルソンさんも海兵隊員として従軍していました。

ネルソンさん「私はベトナムで何人もの死を見ました。私はベトナムで本当の戦争は映画と違うのだと知りました。」

村々を焼き払い、女性や子どもたちにまで攻撃する軍隊。職務だと割り切ったつもりでも、それは耐えられるものではありませんでした。毎晩のように悪夢にうなされジャングルの記憶に苦しめられたのです。

ネルソンさんの著書より「炎に包まれる村の家々、恐怖に満ちた叫び声、あちこちに人々が倒れ、血を流したり、手足が千切れたりしています。私はとてつもない恐怖に襲われ、張り裂けるような声を上げます。」

18年間の治療を経て語り始めたネルソンさん。沖縄でも訓練を受けた経験からフェンスの向こうに広がる基地の実態、軍隊の危険性を訴えてきました。

ネルソンさん「キャンプハンセンの上官は聞く、「お前たちは何がしたいのか!」と。すると私たちはできるだけ大きな声で、ライオンのような声で叫ぶ、『殺すんだ!』と。 ベトナムの戦争のことを話すのはとても苦しい。みんなに話すのも苦しい。それはもう抑えられない恐怖だ。でもある日気づいた。子どもたちに伝えなければならないと。私の話を聞いて、一人でもいいから戦争がダメだと考えてくれたら良いと。」

親友の宜野座さんは彼についてこう語ります。「語ることによって自分が人を殺すたびに壊れていった心も体も語ることによってもう一度生きなおす、自分にとっても力をもらうことになるんだと言うようになった。」

宜野座さんは、ネルソンさんの話を聞いた学生たちを集めました。病に伏す友にメッセージを届けようと思ったのです。

宜野座さん「みんなの気持ちを届けることが一番免疫力がアップすることだと思ってね。」学生「沖縄が危ないといって沖縄を救いたいといって私たちに何回も何回も話をしに来てくれているから、その思いを無駄にしたくないと思って。」

学生「戦争の傷跡というのは何十年、何百年経っても消えないんだなというのを感じたし、そこから僕たちがしなければならないのはなんだろうと」

また、ネルソン基金を設立。高額な医療費の足しにしてもらおうとカンパを募っています。ネルソンさんの病気はベトナム帰還兵の多くがかかっていて、枯葉剤の影響も疑われています。戦後年十年経っても苦しめられる元兵士。その姿は沖縄の今とも重なります。戦争はひとたび起こってしまうと、たとえ終わってもその苦しみは続く。ネルソンさんの言葉は身をもって戦争の痛みを受けた者の訴えだからこそ、人々の心に響いているのかもしれません。

ネルソンさん「沖縄の人、特に若者は沖縄の将来について考える機会が来ていると思います。アメリカ軍が沖縄にある限り、未来はありません。」

宜野座さん「最期まで一緒に言い続けていこうねというはず一緒に平和をつくっていこうねというはず。」