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名護市・安部区。人口120人の、小さく、静かな集落です。のどかな日々を送っていた集落を、1年前、あの事故が襲いました。

「大破したオスプレイの姿が見えます。特徴である大きな黒い羽は原型をとどめていません。衝撃の強さを物語っています」

集落から800mの場所に墜落したオスプレイ。半年で1万7千個以上の部品が回収されるほど、バラバラの残骸となりました。10月の末には、浜に打ち上げられたヘルメットも見つかるなど、影響は続いています。

区長の當山真寿美さん。事故の前と後で、意識が変わりました。

當山真寿美区長「私もそうなんですけど、今まではテレビで見てたりとか、他人事だったんですよね。だけどそれが、どこででも起こり得ることなんだな、って。」

墜落事故以降、アメリカ軍機の飛行ルートや音を気にするようになりました。

當山真寿美区長「夜とかもなったり聞こえたりするんですけど、その時もやっぱり『またなんかないよね』と自分で思ったりとかもありますよ。」

10年前、QABが取材した安部区の豊年祭。住人総出で祭りを楽しむ姿が映っています。映像に映っていた1人、比嘉旭さん。元、漁師です。

比嘉旭さん「もし部落に落ちたらどうするの。もう大変なことになるんだよ。どうする?どこに逃げる?今もヘリポートの基地まで造ろうとしてるさーな。こっちに向かってくるんだよ。」

事故の再発を恐れる比嘉さん。一方で、矛盾した複雑な思いを抱えています。

比嘉旭さん「反対反対しても意味がないから。やってあるから仕事は。止めきれないよ。(Q.基地になることは本音ではどうなんですか?)本音な…本当はやってほしくないさ。」

一方、当時区長として祭りを盛り上げていた宮城勇吉さんは、やりきれない思いで傷ついた安部の海を見つめていました。

元区長・宮城勇吉さん「V字型の(話が出た)時に、V字型したら安部が一番危険ですよと言ったら、彼らは『大浦湾で旋回して絶対安部にはいきません』ということだったから、その時(去年墜落した時)もはっきり言いましたよ。『ああいうこと(経緯)だったんだよ、でも落ちたでしょ』と。」

宮城さんが区長を務めていたころ、海を挟んだ辺野古の新基地建設計画が具体化。宮城さんは当時から、安部区が新基地の滑走路の延長線上にあたる新基地計画に反対していました。

新基地の姿かたちもないうちに、現実になった事故。それでもオスプレイが飛び続ける現状は変わらず、悔しさが募っています。

元区長・宮城勇吉さん「いっときはけっこうオスプレイが向こう(海)から飛んでたけど、最近またこの辺から、シマの上空を飛ぶようになってるから。被害を被るのは安部なんだから、もう少しどこかで抗議したいなとは思っています。」

否応なしにオスプレイの危険に向き合うことになった安部区。

安部区民「上しか飛ばないからみんな不安は持っていると思う。」

安部区民「あの辺野古の基地を造らせないことが一番じゃないですかね。ここを拠点として飛ぶわけだから。ここが完成すれば、ここ(安部)はもう自由奔放に飛ぶわけでしょ。」

安部区は今、立ち上がろうとしています。新基地建設を止めるため、女性たちが「おばあの会」を結成しました。きょう、初めての活動となる講演会を開きます。

當山真寿美「みんな本当に他人事だと思ってたんですよね。だから余計に、怖いものなんだというのが分かって、だからこの、今まで声に出さなかったことを、出すようになったのかな。」