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『さすが安倍総理。良い正月になりそう。』年末官邸で安倍総理にこう語った仲井真知事。この様子を見て衝撃を受けた女性がいました。「言葉に表せないというか、唖然と言うか、ちょっと考えてやられたなと思ったんです」こう語るのは亡くなった元名護市長・岸本建男さんの妻・能子さんです。

シリーズ名護市長選3 元市長らの思いは

能子さん「言葉に表せないというか、唖然と言うか、ちょっと考えてやられたなと思ったんです。」

岸本さんは1999年、普天間基地の代替施設の受け入れについて7つの条件をつけて「容認」を表明しました。しかし能子さんは、これは夫が本当は基地を造らせないための作戦だったのではないかと考えています。なぜならその7つの条件とは、15年の使用期限や、基地の使用協定締結などとても現実的にはありえない、ハードルの高いものでこうした条件を出すことで断念させようとしたのだと考えているのです。

能子さん「基地を受け入れることになったときも、高いハードルを付けて、それがもし満たされるなら、というのかしら、守れるなら、やむなしだった。もしできなかったら撤回すると言うことだと思う。」

しかし岸本さんはアメリカ軍再編計画の行方を見届けることないまま62歳の若さで死去し、能子さんが感じとっていた夫の本心は伝わらないままに。能子さんは、条件をつけたことが、問題を複雑にしたのだと悔みます。

シリーズ名護市長選3 元市長らの思いは

能子さん「そういうことをやるからみんな間違えるとはっきり言いたいですね。難しいですよ。神様じゃないんだから。私はうちの人が変な条件を付けて、中途半端にした感じがあるので、それを清算するために、やるべきことだと思っています」

一方、仲井真知事の決断を高く評価する男性がいます。1997年、海上ヘリ基地建設を受け入れて辞任した、 比嘉鉄也元市長です。

比嘉鉄也元市長「自分が決断する時には誰にも相談したことは無いんだよ。自分が言ったことだから、自分で進めて来たことだから、自分が責任もってやらんと。」

比嘉さんは末松さんの支持をしながらも市役所の後輩たちが戦うことに複雑な思いもあらわします。

シリーズ名護市長選3 元市長らの思いは

比嘉鉄也元市長「私はみんな選挙に出ない前はいっぱい飲んで遊んでいた。稲嶺くんが前の選挙で島袋吉和と戦った時に、挨拶に来たよ、私の所。これは困ったなと。鹿児島に逃げようと思っている、それだけ言いました。Qどうしてですか?Aこっちを立てれば、こっちが立たずで、そうなると分かるじゃないか。」

また比嘉さんは、辺野古への基地建設については次のように述べ、決まったことで、進めるべきとの考えを示します。

比嘉鉄也元市長「今のところ誰が当選しても、国が決める問題。それに対して仲井真知事がOKしたんだ。県民を守ると言うけれど、普天間をおいて、あと、17,8年おいてそれで良いのか」

基地建設を巡って長年分断されてきたまち。今回の選挙、そしてその後に2人はこんな思いを込めます。

能子さん「名護市民が承認したら、怒涛のように押し寄せる恐怖感がある。悔しい思い、そういう思いで亡くなったかもしれないと思うので、きちんと皆さんに理解していただくのが、彼の供養になると思っているのかもしれない。」

シリーズ名護市長選3 元市長らの思いは

比嘉鉄也元市長「私は何も心配していない。沖縄は昔から廃藩置県の場合に、たった350人の薩摩の兵隊に沖縄をとられても、全部白黒に分かれて喧嘩したけど、一旦結論が出れば、みんな仲良くしている。今の時代を迎えている。戦後も戦で散々な目に遭ったが、結いマールの精神で来ている。」

辺野古への基地建設を争点にした選挙。最後まで激しい戦いが繰り広げられそうです。