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沖縄はことし復帰35年を迎えます。しかし、広大なアメリカ軍基地は残り、また新たな基地の建設計画さえあります。そうやって戦後ずっと沖縄に基地を置き続けたアメリカ軍が復帰前、沖縄住民の抵抗なく基地を安定的に維持したいと、ある作戦を取っていました。

その任務を担っていたのが「第7心理作戦部隊」でした。沖縄にとられた心理作戦とは何だったのか、ジャーリスト吉岡攻さんがその謎を追いました。

『守礼の光』。復帰前、学校や図書館、家庭に無料で配布された月刊誌です。アメリカ軍が駐留する目的の他、琉球の歴史や文化など「琉球」にこだわって編集された雑誌でした。

この雑誌の発行元は、陸軍第7心理作戦部隊。部隊の元将校ロバート・マイケルさん。マイケルさんは副編集長としても、「守礼の光」に関わっていました。

ロバート・マイケルさん「雑誌の発刊は沖縄の住民に軍の良さを理解させ、駐留する必要性を知ってもらうためでした」

当時アメリカは中国、朝鮮やベトナムなど、アジアの共産圏の国々と闘っていました。第7心理作戦部隊はそれらの国々にアメリカへの抵抗を止めさせるビラ配布や放送を行っていて、沖縄には印刷工場や放送局がありました。

その頃、沖縄ではアメリカ軍による事件や事故が多発。アメリカ兵が容疑者となる殺人事件や交通事故では「無罪」判決が出るなど、人権を無視された状況に沖縄の人達の本土復帰への思いが加速して行った時代でした。

シルバースプリングに住むジョージ・レーンさんは元陸軍通信隊将校。第7心理作戦部隊と共にベトナム向けのラジオや通信を担当していました。

ジョージ・レーンさん「ベトナム戦争を続けていく上で、物資の輸送兵士の訓練、嘉手納基地の自由使用、それに心理作戦や特殊部隊の活動など、沖縄は極めて重要な拠点でした。その為にアメリカは沖縄の基地を沖縄の人々の反対なく自由に使いたかったし、そればかりか労働としても必要だったのです」

「基地の安定的な使用」の為に、アメリカ軍がとった方法が<琉球>と<日本>とは違うと認識させることでした。つまり、琉球は日本ではないと強調し、日本復帰と基地の全面撤去を謳う住民の思いを逸らせたかったのです。

英語が得意だった瀬底ちずえさんも、民政府勤務ののち第7心理作戦部隊のスタッフとして働きました。「守礼の光」で琉球の昔話のコーナーを担当し、各地を訪ね、掘り起こした民話を掲載するのです。

瀬底ちずえさん「面白い面白い、もっと書け書け。私書いた。モーイー親方というのも書いた。これも喜んでいるわけ。面白いから書いた。心理作戦かどうかはわからんけど。彼らにはマッチするわけさ」

瀬底さんは琉球民話の掘り起こしの中で、琉球文化の奥深さに触れ、うちなーんちゅとしての誇りを再確認していきました。ところがアメリカ軍にとってはそれが「宣撫工作」につながったのです。

<琉球>と<日本>は違う。琉球は独自の文化を持った独立国だったということを再認識させようとしたのはキャラウエイ高等弁務官だったいいます。それを裏付ける1通の手紙。キャラウエイ高等弁務官から直接聞いたという歴史学者が書いたものです。

『キャラウエイは、沖縄の人達の関心を過去の琉球王国に向ける事で、彼らが本土復帰への空騒ぎを止めてアメリカ軍による支配を受け入れるようになるという幻想を抱いていました』

放送部門にいたAさん。アメリカ軍が福祉や教育などに貢献している事をアピールする放送をしていました。Aさんは心理作戦部隊で働いていたことを周囲の人に打ち明けていません。音だけならと話をしてくれました。

Aさん「宣撫工作には違いないわけです。その片棒をかついだ後ろめたさが今も残っていますね」

第7心理作戦部隊の活動は復帰と共に停止します。

琉球文化の深さに触れた瀬底さんはもっと民話を書きたいと話し、Aさんは重い心を抱えたまま今を過ごしています。そしてアメリカ軍基地は今も沖縄に残り続けています。

結果的にアメリカ軍は今も沖縄に駐留しています。その存在の維持を担うのはアメリカ軍から日本政府に変わりました。ふたつの国の都合に翻弄される沖縄ですが、変わらない基地を前に、この島は自分達の島だと改めて感じます。

今日お送りしたQリポートの内容は来週月曜日のよる7時から放送いたします。