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きょう甲子園取材から帰ってきた戸田アナウンサーの特集です。

戸田アナウンサー「はい、お伝えします。おととい、沖縄尚学が横浜に挑んだ夏の甲子園。沖尚への応援を続けたのは県民だけではありませんでした。毎年、県代表の応援を支えている兵庫県の市立尼崎高校吹奏楽部。約30年近く沖縄のために音を奏でています。その伝統を受け継ぐ部員たちを取材しました」

甲子園に響く力強い音。奏でるのは兵庫県の市立尼崎高校吹奏楽部。150人もの部員は毎年、特別な夏を過ごす。

沖縄と尼崎をつなぐ甲子園の音

沖縄県代表の甲子園での応援だ。総監督・羽地靖隆(やすたか)さんは伊良部島の出身。

市立尼崎高校 吹奏楽部羽地靖隆さん「(沖縄から兵庫に)昭和37年に来た60年ぐらいになる」

応援を始めたのは今から45年前のこと。当時、羽地さんは中学校の吹奏楽部を指導していた。

市立尼崎高校 吹奏楽部羽地靖隆さん「沖縄代表の応援をしてくれる学校がないかということで。よかったら僕がしますと(応援を)中学生たちでやった」

ここから長い伝統が始まる。指導の場が市立尼崎高校に移っても羽地さんは沖縄代表への応援を続けた。15人で始めた吹奏楽の応援は部員も増えやがて学校の伝統になった。

市立尼崎高校 吹奏楽部羽地靖隆さん「夏の行事みたいなそんな感じ。必ず行っている。高校生も野球部員もだけど一生懸命やっているのでそれに感動がある」

選手たちが懸命に戦う。だから自分たちも一生懸命応援する。それが羽地さんの原動力だ。その思いは部員たちにも受け継がれている。

沖縄と尼崎をつなぐ甲子園の音

市立尼崎高校 吹奏楽部山崎絢乃 主将「(沖縄大会決勝は)今年はエナジックと沖縄尚学だったと思うけどギリギリまでどっちになるだろうと。みんなで見て応援していた」

沖縄大会を気にかけ甲子園にやって来るチームを待つ。沖縄代表は部員たちにとっても特別な存在になった。

市立尼崎高校 吹奏楽部山崎絢乃 主将「違う県でも応援できるのはすごくうれしい」

中には沖縄を応援したいという思いから 市立尼崎高校に入学した部員も。

市立尼崎高校 吹奏楽部鐘ヶ江悠介さん「野球が好きで小さい頃から追ってきて(沖縄代表の試合を)たまたまテレビで見てこういうチームを応援したいと思った」

この日、部員たちに届いたのは沖尚ナイン一人ひとりの応援曲。

市立尼崎高校 吹奏楽部森下初姫さん「沖縄尚学さんからこの曲をしてほしいという依頼を受けて吹いている。(曲目は)今日届いた。持ち曲が90個くらいあってその中から選んでもらっている」

選手に合わせた曲で音を合わせていく。150人で1つの応援を作り上げる。

市立尼崎高校 吹奏楽部森下初姫さん「兵庫県ではあまり味わえない指笛とか独特なノリを現場に行ってアルプスで横にいる応援団とできるので、とても楽しい」

吹奏楽部の3年生にとってもこれが最後の夏。目指すのは”悔いのない演奏”

沖縄と尼崎をつなぐ甲子園の音

市立尼崎高校 吹奏楽部森下初姫さん「野球とかも全然知らなかったけどそれでも楽しめる。今年は最後私たちにとっても最後の野球応援。沖縄の方々と一つになって応援していけたらいい。(得点の曲)ボラーレを何回も吹きたい」

迎えた初戦。チームの応援団と顔を合わせるのは試合当日。それでも――

演奏が始まれば自然と息が合う。市立尼崎の演奏が甲子園に響く。先制を許した試合は、注目投手・織田を前にあと1本が出ず苦しい展開に。

市立尼崎高校 吹奏楽部森下初姫さん「厳しい状況だが選手たちも不安だと思うので明るい気持ちで音楽でサポートしたい」

奏でる音を選手たちに届ける。そして。市立尼崎の音はチームを励まし続けた。この日、78歳の羽地さんも最後まで指揮を続けた。

市立尼崎高校 吹奏楽部羽地靖隆さん「いつまでできるかな。80歳くらいで終わったらいいかなと思うけどもうすぐだよ。学校としてはどんどん続けていくつもりで残していくので」

沖縄と尼崎をつなぐ夏の音はこれからも甲子園に響き渡る。

戸田アナウンサー「部員の皆さんは毎年、沖縄代表に思いを寄せてくれているんです。長年の甲子園での応援に対して去年、玉城知事から羽地監督に感謝状が送られました。そして実は沖尚初戦の翌日は兵庫県の吹奏楽コンクールだったそうでその県大会では金賞を受賞!30日には兵庫県代表として関西大会に出場します。さらに今年3月には全国大会でも金賞を受賞しているんですね」

県民としてはうれしいし、ありがたいですね。

戸田アナウンサー「沖縄代表チームの力になろうと演奏し声を出し選手たちと一緒に戦う姿が印象的でした。甲子園に響く音色はこれからも県代表チームの背中を押し続けます」

ここまで特集でした。