太平洋戦争当時に、宮古島の沖合で旧日本海軍の船が沈没しました。80年以上が経つなか、艦長だった父親の遺骨を探したいという遺族の思いを受けてダイバーの男性が調査に乗り出しました。
宮古島沖、この深くて広大な海のどこかに旧日本海軍の船が沈んでいます。
ダイバーで水中探検家の伊左治佳孝(いさじ・よしたか)さんが、今回沈没船の潜水調査に挑みます。厚生労働省によりますと、太平洋戦争ではおよそ3000隻の艦船が沈没し、およそ30万人の遺骨が海底に眠っているとされてます。
そのうちのひとつが敷設艇「燕(つばめ)」です。太平洋戦争を記録した「先島群島作戦(宮古篇)」によりますと、「燕」は本土から軍の物資を送る船の護衛をしていました。しかし、1945年3月1日にアメリカ軍の攻撃を受けて宮古島沖で沈没しました。
千葉県に住む吉田進(よしだ・すすむ)さんの父親は「燕」の艦長をしていました。これまで吉田さんは燕が沈んだ時期などに島を訪れ、船体の情報を探しながら、厚生労働省に遺骨の回収を求めてきました。しかし、実際に船影や遺骨が確認されていないことなどから、80年以上が経っても国による調査は行われていません。
「せめて父の遺骨だけでも母の眠る墓に収めたい」と、伊左治さんに調査を依頼しました。
吉田進さん「そう簡単にはいかないと思いますけど、(調査を)やれるとすれば伊左治さんたちプロフェッショナルじゃないとだめだなと、期待する部分はありますね」
燕の沈んだ日と同じ今月1日のあさ、宮古島の荷川取漁港では、伊左治さんが調査に出るために準備を進めていました。
伊左治佳孝さん「送料だけで大変ですよね、送料だけで往復したら5万~10万円飛ぶ、車も持ってきてますからね」
伊左治さんは遺骨を探し続けている吉田さんの話を聞き、力になりたいと今回の調査をボランティアで引き受けました。84歳になる吉田さんのために、できるだけ早く見つけたいと語ります。
伊左治佳孝さん「できるっていうのをやらないのは、僕としては悲しいなという思いがあって」「今回は(調査)できる場所だったので、できる場所を見捨てるのかという思いはある」
これまでに海図などの資料を調べると、宮古島沖の水深45メートルと25メートルの2か所に沈船の記述があったことから、船があるか実際に潜って確かめます。
今回の調査では水深45メートルの地点を狙って潜りますが、初日は潮の流れが速く、目的地までたどり着くことはできませんでした。ただ、ひとつ気になるものが。
伊左治佳孝さん「今回沈船にはたどり着けなかったんですけど、明らかに何かあるよね、というポイントはとれたんですよね」
海図にあった沈船の表示の近くで、魚群探知機に人工物のようなものの反応があったのです。翌日から悪天候の予報のため、伊左治さんの滞在期間中に海に潜れるチャンスは今月6日のみとなりました。反応のあった場所を目指して朝から船を出し、時間の許す限り周辺を探します。
4時間ほどの探索の結果、「燕」は見つかりませんでした。
しかし、今回の調査地点にないことがわかったこと自体が「燕」発見への第一歩で次に繋がったと話します。
伊左治佳孝さん「(今回の潜水で)候補地点のおよそを潰した気はします」「(今後も)僕の思いつくこととやれることは、やりたいなと思います」
次回は水中ドローンも活用しながら、今回調査できなかった水深25メートル地点などを探すことになりました。
父親の命日に、吉田さんは家族とともに燕が沈んだとされる場所に手を合わせ、好きだったお酒を手向けていました。
吉田進さん「戦争を始めるときはみんな景気がいいんです、やれやれって言いますけど、終わったら国は一切責任をとらない、野ざらし、海は墓場なんだから放っておけばいいんだというような無責任さがあると思います」
同行した伊左治さんは、静かに見守っていました。
伊左治佳孝さん「ぼくも持ってこようかな思ったが、頑張ったら船の場所がわかるかもじゃないですか、船の場所がわかったら、そのうえでやりたいなと」
吉田進さん「サントリーの角びんがすきだったようです」「またよろしくお願いします」
伊左治佳孝さん「吉田さんが喜んでくれるのが一番ですよね、未来としては、それが第一です」「(見つかって)よかったなと言ってもらえればいいかなと、僕は思います」
家族の遺骨を探したいという遺族の願いは叶えられるのか、戦争から80年が経っても「燕」は海に沈んだままです。
伊左治さんは1942年に水没事故のあった山口県の長生炭鉱での遺骨収集にもかかわっていました。ただ、こうした取り組みのほとんどはボランティアで行われているため、クラウドファンディングのように自分たちで調査の費用をまかない、継続的な収集活動や調査ができる仕組みづくりをしていきたいと話していました。
