戦後80年の今年、シリーズでお伝えしてきた「たどる記憶つなぐ平和」もう二度とあの戦争を繰り返さない、という誓いのもと、記憶をたどる戦争体験者、平和をつなごうと力を尽くす人々などに話を聞き、その思いを伝えてきました。
最終回のきょうは、沖縄戦などで犠牲になった24万人以上の名前が刻まれている「平和の礎に込められた願い」をお伝えします。
慰霊の日 平和祈念公園
80代女性 宜野湾市から「平和でありますように、子や孫も戦争がないように、守ってあげますので」
90代男性「こっちがお母さん、こっちが妹、こっちがおばあさんになるわけさ」「3名なくなってからに、だから毎年こっちに来てるんですよ、慰霊の日には」
80代女性 八重瀬町から「父とおじい、おばあに(手を合わせた)」「戦争はない方がいいね、平和がいいね」
糸満市摩文仁にある「平和の礎」国籍や軍民問わず、沖縄戦などで亡くなった24万以上の名前が刻まれています。
元知事広報室長 高山朝光さん(90)「その平和の基になるものと基本になるもの」「だから平和の基 それを『いしずえ』ということで(沖縄の方言で)礎になる」
高山朝光さん(90)平和の礎建立に携わった1人です。
元知事広報室長 高山朝光さん(90)「知事になるときに、どうしてもこういう刻銘板でね、亡くなった人たちの名前を刻みたいという構想を持っていて」「沖縄からね、こんな地獄のような沖縄戦があって、それをそのまま風化させることなくそれを世界に発信することが大事だと」
当時、県知事だった大田昌秀さん、沖縄戦体験者として、そして平和の訴える一人として、戦後50年となる1995年に平和の礎の建立に尽力しました。
1995年6月23日 遺族「50年ぶりにやっと会えた」「作って頂いて感謝しています」
あれから30年。平和の礎には毎年追加刻銘が行われ、今年も342人の名前が刻まれました。
元知事広報室長 高山朝光さん(90)「ただそこで消えたんじゃなくて、その人たちが消えたんじゃなくて」「その中にまだ生きた継続性というか」「平和の礎の中に名前を刻むことによってあるんじゃないかという思いがするし」「それを今の平和の礎を一つの発信拠点として」「そういうことを理解した人たちをどんどん広げていくというのが大事だと思う」
平和の礎に刻まれた人々にも私たちと同じように夢があり、未来があり、大切な家族がいました。平和の礎に刻まれた人々の生きた証をたどり、戦争の悲惨さ、平和の大切さについて考える特別番組を放送します。
「たどる記憶つなぐ平和~生きた人々の証~」は30日午後4時からの放送です。ぜひご覧ください。
たどる記憶 つなぐ平和 ~生きた人々の証~ 2025年12月30日(火)午後4時 放送
