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続いて、与那国島についての特集をお伝えします。80年前の沖縄戦では、島の最高峰・宇良部岳は軍の監視拠点となり空襲も受けています。一方、2016年の自衛隊の配備以降、台湾有事も念頭に島の軍事拠点化が進み、住民の避難も議論されています。与那国の80年前と今を見つめ、共通点を探ります。

今年3月、県内で行われた自衛隊とアメリカ軍の共同訓練。訓練の念頭にあるとみられる台湾有事では、沖縄戦当時と同じように、南西諸島の各離島に日米の部隊が展開することになる見通しです。

国境の島の80年前と今/与那国島の沖縄戦と「台湾有事」の影

アメリカ・ワシントンの有力シンクタンク戦略国際問題研究所のマーク・カンシアン氏です。台湾有事のシミュレーションをまとめた報告書を2023年に発表し、注目を集めました。「ウォーゲーム」と題して中国や日米の部隊のコマを動かして分析を進めた東アジアの地図の中では、ある島がクローズアップされています。

マーク・カンシアン氏「与那国。ここまで日本の領土です」

台湾から110キロの距離にある、日本最西端の島・与那国島。政府は「防衛上の空白をうめる」として、2016年に陸上自衛隊を配備。近年、アメリカ軍との共同訓練も頻繁になってきました。

マーク・カンシアン氏「与那国を重視するのは、台湾に近い大きな島だからだ」「自衛隊やアメリカ軍にとって優れた基盤になる」

国境の島の80年前と今/与那国島の沖縄戦と「台湾有事」の影

台湾有事で自衛隊やアメリカ軍の拠点化も想定される与那国島。その島は80年前も日本軍の監視拠点として位置づけられていました。日本海軍は太平洋戦争が始まった、1941年、島の最高峰・宇良部岳に監視所を設置。監視所で兵士としてアメリカ軍の攻撃に遭遇した請舛秀雄さんの証言がQABに残っています。

請舛秀雄さん(2010年)「B24(米軍機)が来て、東から西に向かって兵舎に爆弾を撃つか弾を撃つかというところだったが、自分たちは伏せて、一回バタッとやったが、一人は2階から怖いと言って下に降りる途中に、やられて戦死」

アメリカ軍やイギリス軍の空襲をたびたび受けた与那国島。空襲は軍の施設だけでなく、港に停泊していた船や民間地にも及びました。

請舛敏子さん(2010年)「兵隊の荷物をみんな、積んで運んでいた船はみな爆弾でやられた」「本当にかわいそうだったよ」「戦争は大変。二度と戦争はやだなと思って」

80年前、空襲のターゲットになった宇良部岳。現在山頂にある通信会社施設の横におかれているのは自衛隊の映像監視装置です。陸上自衛隊は取材に「他国の艦船を監視している」としており、80年前と同じように警戒拠点と化しました。

国境の島の80年前と今/与那国島の沖縄戦と「台湾有事」の影

八重山地域の沖縄戦に詳しい、郷土史家の大田静男さん。大田さんが示したのは、1944年の「10・10空襲」直後にアメリカ軍が作成した南西諸島の地図。すでに宇良部岳の監視所の存在はアメリカ軍に把握されています。

大田静男さん「80年前と同じ考えでこういうものを設置するのは」「地形の関係でそうならざるを得ないかもしれないが」「そういうことをやっても無駄ですということ」「狭い島にミサイルを何発か撃ち込まれるとどうしようもない」「本当にそれが起きるのであれば、故郷はないと考えたほうがいい」

大田さんが歴史を紐解いてきた八重山地域では、台湾有事を念頭にした九州への避難計画も浮上しています。故郷を追われる懸念をこう語ります。

大田静男さん「自分たちは九州に疎開している。帰れないとなるとそこに住むのか」「そこだって危ない」「文化や自然も失って、棄民になっていくのか」

国境の島の80年前と今/与那国島の沖縄戦と「台湾有事」の影

石破総理「決して民間人を戦場においてはならない」「その教訓はこれから先も活かしていかなければならない」

きょう、沖縄を訪れた石破総理。戦没者追悼式のなかで防衛庁長官時代、沖縄戦を念頭に国民保護法制に携わったと強調しました。一方で、那覇市で開かれた太平洋戦争下にアメリカ軍などに沈められた船、戦時遭難船舶の慰霊祭。80年前の海での犠牲から遺族からは、現状への危機感も聞かれました。

戦時遭難船舶遺族会・大城敬人さん「(住民避難で)船舶や飛行機で移動するといっても、こんにちの戦争はミサイルやドローン、逃れることができない」「避難はあまりに無謀。それよりも大切なのは戦闘を起こさない」

国境の島の80年前と今/与那国島の沖縄戦と「台湾有事」の影

離島からの避難は海路・空路に限られ、攻撃にさらされる懸念も現実味を帯びるほか、有事の住民避難を進めることが周辺国から「日本側の戦争準備」とみなされる可能性もあります。

日本大学・中林准教授「リスクがあるのはよくわかります」「一方で、それがあるから何もしなかった結果」「準備が不十分なまま状況がエスカレートしてしまって」「結果として逃がすべき逃げられるべき人が」「逃げられなかったというのもまずい」

そう語るのは、日本大学の中林啓修准教授。2013年からおよそ3年間、県庁で勤務し、県の国民保護体制の検討に携わった経験もあります。80年前に住民を巻き込んだ地上戦を経験した沖縄。国民保護に関して懐疑的な見方も県民にある中、中国の軍拡などを背景に、県や市町村で検討が進んできた経緯を語ります。

国境の島の80年前と今/与那国島の沖縄戦と「台湾有事」の影

日本大学・中林准教授「そうしたこと(有事)が起きてほしくない。起きないためにしなきゃいけないことがあるのでは、という部分」「あるいは起きてしまった時のために、何かしなきゃいけないのかというところ」「両方の思いがありながら進んでいくという、複雑な思い。そこをきちんと受け止める必要がある」

小嶺博泉さん「何のための国民保護」「自分たちが主体としての避難ではないかという」「疑念が出ているのかという感じはしますよね」

一方そう語る、小嶺博泉さん。生活の糧として育てている牛は、避難する際、放牧して島に残すことになります。

小嶺さん「なりわいを放っておいて」「他県に移住するのがどれだけ現実的じゃないのか」「というのを話したい」「お国のために必要というならば」「本気で議論すべきではないのか」「なにもされてないままとりあえず行っちゃいなよというのはどうなのか」

国境の島の80年前と今/与那国島の沖縄戦と「台湾有事」の影

「台湾有事」を大義名分に、防衛力の強化や有事の住民避難計画が進められる現状。80年前も今も「軍事拠点」と位置づけられる与那国に生きる小嶺さんは、こう投げかけます。

小嶺さん「防衛政策としては国を守る国是としては、この地域の小さな系譜なんて」「ちょっと我慢してもらったほうがいいと思うでしょう」「果たして日本として今やっていることが正解なのかということを」「立ち返って考えてほしい」「大国間の争いに、沖縄が、与那国がというよりは」「日本全体がコマとして使われているだけじゃないですかと」

取材した塚崎記者です。与那国島の今と80年前、似通うところがあるように思いますが、いかがですか。

塚崎記者「80年前も今も、島が軍事拠点と化し、住民が翻弄される構図は変わりません。『軍隊は住民を守らない』という言葉は、沖縄戦の教訓とされますが、80年前、国家を守るために県民が犠牲になった過去、そして同じことが繰り返される危険があることに、目を向けるべきです」

私たちはこれまで、体験者の記憶をたどり、80年前の沖縄戦がどのような傷を残したのか。その実相に向き合ってきましたよね。基地問題を始め、いま沖縄がかかえる課題の根底には、家族を失い、住む場所を奪われたあの戦争の傷跡が深く刻まれています。沖縄戦が歴史の中の出来事ではなく、今に続く問題だということを忘れてはならないと思います。