※ 著作権や肖像権などの都合により、全体または一部を配信できない場合があります。

今年も沖縄は慰霊の日を迎えます。きょうから1週間にわたり慰霊の日に関する特集をお伝えしますきょうのテーマは「沖縄戦から学ぶこと」

1945年アメリカ軍は沖縄本島へ上陸し「鉄の暴風」と呼ばれる 空襲や艦砲射撃などの激しい攻撃が繰り広げられました。アメリカ軍との攻防で南部へ撤退した第32軍。6月23日が組織的戦いの終結の日と言われますが牛島中将が残した「最後まで敢闘せよ」という命令によって、日本兵の抵抗は続きこの日以降も、多くの住民が戦闘に巻き込まれました。

戦後78年(1)「沖縄戦から何を学ぶのか」

沖縄戦で命を落とした住民は推計9万4千人。戦没者は日米双方で20万人を超えました。敗戦から78年ー

政府は去年12月 防衛力の強化に向けた「国家安全保障戦略」など安全保障関連の3つの文書を閣議決定しました。

「沖縄戦から何を学ぶのか・・戦後78年。伝えたいこと」

南風原文化センターでは毎年6月23日の前後に沖縄戦に関する企画展を行っています。  

この企画展を制作した南風原文化センターの学芸員 前城さんです。

戦後78年(1)「沖縄戦から何を学ぶのか」

南風原文化センター学芸員 前城さん「この入り口、今回仕掛けを作ってみまして、箝口令って難しいテーマでもあるんで当時の住民の視点。箝口令というのは一般の人に知らされないようなことがたくさんあったということで、そういう箝口令があったことを伏せた展示を行っています。こちらの入口は同じ年表なんですけれども箝口令で伏せられていたことについて調査研究などで明らかになったことを展示している、実際にあった出来事の展示。2つ選んでいただいてどちらから見てもいいですよ。また比較してくださいねという仕組みにしてみました」

戦後78年(1)「沖縄戦から何を学ぶのか」

南風原文化センター学芸員 前城さん「この空白、これが何かな?この時何があったんだろう、43年この時なにがあったんだろうという形でこう対比して見みてほしいなと何も知らずにいろいろ進んでいった、知らされずに、知る事ができずにというところですね

展示の最後に前城さんが見てもらいたいと願う南風原町の住民の証言です。

「爆発のあと・・・ガジマルの木に、白いガーゼや包帯、人の肉片がぶらさがり異臭が漂う「もう僕らは震えて、もしこのことを話したら日本刀で切られるくらいのそういう感覚でした当時は」帰らぬ我が子や家族の遺品を探し、涙を拭きながら袋を手にする遺族。その姿を見るのも痛ましく、胸のつまる思いであった。」

南風原文化センター 平良次子さん「私たちも博物館で企画展をやる時になんのためにするのかな、ということを考えていくんですけど見る人たちが過去にこういうことがあったのね、ということで終わらせてはいけない。じゃあ今はどうなっているんだろうって。必ず気付いて欲しいし戦争で亡くなった人たちが どういう風な亡くなり方をしたのか生き残った人たちが高齢化してますけど その人たちがどんな思いで戦後を迎えたか戦後を過ごしたか、ということも含めて「思う」季節ですし、その人たちが80代90代になっていく人たちが一番伝えたいことというのをちゃんと受け継いだかどうか、ちゃんとその人たちは望む世の中でになっているのかどうかというのを確認する時期にしてほしいなというのをますます強く思ってきていて」

戦後78年(1)「沖縄戦から何を学ぶのか」

78年前と現在につながる沖縄の状況。沖縄戦研究者の吉浜さんに聞きました。

沖縄戦研究者 元沖縄国際大学教授 吉浜忍さん「今の沖縄の安全保障状況、これが大きな原因で、それを見て体験者が戦前、沖縄戦の前に似てると、あるいはきな臭い足音が近づいていると言っていますね

そして「新たな戦前」という県民も少なくないということですやっぱり一番大きいのは現在の沖縄をめぐる安全保障状況だろうと思うわけですね、沖縄自衛隊が南西シフトによってミサイル基地など軍事要塞化してるわけです

それが住民生活にも影響を与えて。で、戦争が起こるのではないかと不安が起こっているということですね具体的な経過も大事なんですけど、やっぱり沖縄戦の教訓とは何だったのかというの78年経って今日の安全保障状況を考えるとしっかりやはり考えないといけないと思いますね

なかでも沖縄戦では軍隊が軍隊というのは軍事作戦、これが目的なんです住民を守るということは目的じゃないわけですよ、ねしたがって守るどころかむしろ住民虐殺まで行っている、で、結果沖縄戦では軍隊は住民を守らなかった、したがって教訓というのは「軍隊は住民を守らなかった」ということをしっかり学ぶ必要があるんじゃないでしょうか