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先月、NPO団体が豊見城市にある旧海軍司令部壕の未公開部分で、大規模な遺骨収集を実施しました。そこからは、大腿骨や下あごなど多くの遺骨のほかに、名前が彫られた万年筆やハンコが見つかりました。沖縄戦から77年、悲惨さを物語るように、今なお、土の中からは遺骨や遺留品が見つかっています。

先月22日から9日間にわたって、豊見城市にある旧海軍司令部壕で、NPOの空援隊が中心となって、遺骨収集が行われました。

NPO法人空援隊 倉田宇山さん「少なくとも掘ってみて、これが(遺骨収集を)終えたという状態ととても思えないんですよね。銃弾200発近く出てきたり、手りゅう弾出てきたりするわけでしょ、やっぱりよくないよ、遺留品としても、遺骨としても、放置できないと感じますね」

旧海軍司令部壕で多く遺骨と名前入りの遺留品見つかる

旧海軍司令部壕は、沖縄戦当時、およそ3千人がツルハシなどを使い、5カ月間かけて人工的に掘られた地下壕で、その全長は450メートルにもなります。現在、一般公開されているのは、そのうち300メートルほどとなっていますが、今回の遺骨収集では、未公開となっている場所で大腿骨や脊椎骨、下あごなど多くの遺骨が見つかりました。

NPO法人空援隊 倉田宇山さん「沖縄を本当に平和な島にするんだって言うなら骨拾って骨なくそうよと。沖縄にはもう遺骨ありませんよって、胸張って言いましょうよ。そしたらそっちの方がよっぽど戦争反対になると感じてます」

土の中から出来たのは、遺骨だけではありません。沖縄戦当時のものと思われる200発近くの銃弾や、遺留品が数多く見つかったのです。遺留品の中には、「松川」と書かれた万年筆、「佐藤」「竹中」と書かれた印鑑も見つかりました。

NPO法人空援隊 倉田宇山さん「返せるもんなら返してあげたいですよね。しかもその一緒に遺骨や歯が出てるとかですから、万年筆の松川さん、ハンコの佐藤さん、竹中さんていうのは3人の方々が名前が分かるわけですから、何とか返せるもんならとは思います」

旧海軍司令部壕で多く遺骨と名前入りの遺留品見つかる

見つかった遺留品は今後、海軍壕公園の資料館に展示され、持ち主の特定に向けて、遺族に呼び掛けていくことになりました。今回の遺骨収集では13歳から80歳まで、のべ300人にもわたるボランティアが参加しました。

参加したボランティア「戦争をして国は最後まで亡くなった方を見届けてくれなかったなと。70年過ぎて、そういう遺骨を弔ってあげたい。まだ埋もれてるんだからさ」

参加したボランティア「自分に置き換えたら、ずっと土の中にいると考えると悲しいし恐ろしい感じがするので。実際まだ見つけられていない方もいるわけで、そういう方たちを見つけてあげたいという気持ちはやっぱりあります」

空援隊では、年明け以降にも、再び旧海軍司令部壕で遺骨収集を行う予定としており、「現状を理解してほしい」と参加を呼び掛けています。

旧海軍司令部壕で多く遺骨と名前入りの遺留品見つかる

NPO法人空援隊 倉田宇山さん「少しでもね、土に触れていただいて、何も出ないかもしれないし、いっぱい何か出てくるかもしれない。泥だらけの中で、亡くなっていった人たちがいるわけです。そんな人たちを少しでも表に出してあげたい。日の目を見させてあげてたい。みんなにやってくれとは言わないけど、少しでも多くの人にその現状を理解してほしい」

20万人あまりが亡くなった沖縄戦から77年。沖縄の土にはまだ、戦没者の遺骨が眠っています。

旧海軍司令部壕で多く遺骨と名前入りの遺留品見つかる