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上与那原選手 約束の舞台で銅メダル2つ!

東京パラリンピックのトラック競技で、沖縄市出身の上与那原寛和選手が見事2つの銅メダルを手にしました!快挙づくしのメダル獲得となったんですが、上与那原選手にとってこの東京パラリンピックは「約束の舞台」だったんです

上与那原寛和選手「(東京パラリンピックは)競技をする中で、一番頂点のスポーツの世界」

「頂点の世界」と位置付けた東京パラリンピック。この大舞台を50歳で迎えた上与那原寛和選手。先週金曜日、1つ目の種目である400mで、銅メダルに輝きました。

自身にとって、2008年の北京大会・マラソン競技以来13年ぶりのメダルで、トラック競技でのメダル獲得は県勢初めてのこと。この快挙の裏には、これまでこのレースを目指して、ともに練習に励んできた伊藤智也選手への思いがありました。

伊藤選手は直前で障害度の軽いクラスへ変更となり、一緒のレースに出ることが叶いませんでした。

上与那原寛和選手「伊藤選手と切磋琢磨してこの舞台を目指してきたので、伊藤選手は残念ではあったんですけど、その分自分がしっかり結果を残して、伊藤チームということで報告したいと思います」

そして、得意の1500mで2個目のメダルを目指したきのう。 地元・沖縄市から応援していたのは上与那原選手と10年以上の親交がある三線奏者の我如古盛健(せいけん)さん。

我如古盛健(せいけん)さん「彼ときょうLINEで連絡して、きょうはリラックスして楽しんで走りますという、力強い言葉がありました」

障害がありながらも音楽活動を続ける我如古さんと、競技を続ける上与那原さんは、お互いの活動に刺激を受け意気投合。我如古さんが主催する音楽祭では、上与那原さんを審査員として招くほどの親しい関係です。

上与那原選手 約束の舞台で銅メダル2つ!

そんな2人はリオパラリンピックの後、ある約束をしていました。

我如古盛健さん「ブラジル・リオに自分も(応援に)行きたいという思いがあったんですよ。その時はちょっと遠すぎて、『東京につれていってくれ』と。そこから東京が始まりました」

上与那原選手「その約束は大きいです。」

2人にとっての「約束の舞台」東京パラリンピックへの出場を果たした上与那原さん。コロナ禍で応援に行くことは叶いませんでしたが、我如古さんは沖縄から、さらにオンラインで多くの応援者を募って東京へエールを送ります。

我如古盛健さん「歌いながら応援するので、みんなで応援するので楽しんで走ってくださいということを言ったら、走りながら耳をダンボにして走りますと、非常にリラックスしている様子が伺えましたね」

歌で応援することを伝えた我如古さん。午後8時40分すぎ。1500m決勝。出場7選手の中で最年長・50歳の上与那原選手。スタート直後、周りを見渡しながら3番手の位置につけます。

レース中盤、先頭の2人が前に出るも、ベテランらしく冷静な試合運びでペースを維持しながら、メダル圏内の3位をキープし続けます。

最後の直線。力強くこぎ続けた上与那原選手は自己ベストを5秒も縮める圧巻の走りで、3位に!

400mで県勢初となるトラック競技でのメダルを手にした上与那原選手は、 同一大会で複数個のメダル獲得という、県勢初の快挙をもう一つ達成。 約束の舞台で記憶にも記録にも残る走りを見せました!

上与那原選手 約束の舞台で銅メダル2つ!

我如古盛健さん「感無量。本当にやったなぁと。それとリオで取れなかったメダル、東京で約束以上に2個も取って、僕の中では金メダルですね本当にお疲れ様でした、そしてありがとうございましたと言いたいです」

上与那原寛和選手「今回は形あるもので恩返しをしたいということをずっと言っていたので、それが実現できた、みんながひとつになれた、この大会だと思いますので、感謝の気持ちを込めてメダルを持ち帰りたいと思います」