早速、上京した県の基地政策のリーダー。13年ぶりに復活したポストで基地問題と向き合うその素顔に迫ります。金武町長を2期、県議を4期務めた吉田政策調整監。

まずは、ソフトな質問をぶつけてみました。

吉田政策調整監「(Q.好きな食べ物は?)好きな食べ物(笑)。ビフテキ(ビーフステーキ)だね。僕ら基地と隣り合わせに生活しているでしょ。そうすると残飯がある。米軍の残飯。食べ残し。これをもらったり、持ってきて、これをまたサイコロステーキというの?こうして炒めるでしょ。これ美味しかったね」

吉田政策調整監に聞く

常に基地と隣り合わせの人生を送ってきた吉田さん。そんな吉田さんに、去年再びつらい出来事が起きました。わずか20歳の女性が遺棄されたのは、奇しくも吉田さんの地元、金武町。吉田さんは、マスコミよりも早く現場に駆けつけました。

吉田政策調整監「1つはすまなかったねと。また貴女みたいに犠牲者を出してしまったと」

その日以来、吉田さんは、何度もこの場所に足を運んでいます。

吉田政策調整監「(Q.良く来ますか?)5日に1度くらい」

吉田政策調整監に聞く

吉田政策調整監「これほら、ここに捧げた人たちがこうやって。戦後72年、復帰45年なっても変わらない。幾多の事件事故、そして政府にいろいろ要請したけれども、何も変わっていないという」

では、硬直化する政府とどう交渉していくのか。吉田さんは、対話を重視したい考えです。

金武町長時代に、104号線越えの演習を、本土に分散移転した経験もある吉田さん。他の県との不平等さを訴えることも重要と、就任直前にも、改めて富士演習場などを視察しています。

吉田政策調整監に聞く

吉田政策調整監「向こうは土地の賃貸契約も5年。事業計画も5年。そして、県道104号線の、米軍が向こうで演習するときにも条件付けてやる。そして着弾地も一カ所に集中する。不発弾があった時はすぐ処理する。こういうきめ細かな状況を、条件を付けているわけです。なぜこれが沖縄に適用できなかったのかと。1972年の段階で。これは悔やまれてならない。報道でも二重基準と言う話がありますね。まさに二重基準」

こうした不条理を、一つ一つクリアしていくことが自分に課せられた使命と言います。

吉田政策調整監「(知事からは)過去の吉元調整監のような仕事を想像してくださいと」

大田県政時代に、県側から初めて基地返還の道筋を示した吉元元副知事。翁長知事は、吉田さんの基地に関する豊富な知識や、行政経験から任期2年での交渉に期待を寄せています。先月25日の辺野古ゲート前。

埋め立て承認の撤回を、「必ずやる」と明言した翁長知事とともに吉田さんの姿がありました。

吉田政策調整監に聞く

吉田政策調整監「ここで集まったみなさんが火種となって、全国へ沖縄の闘いを燎原の火のごとく広めていきましょうみなさん。そのために命限り頑張りましょう」

吉田さんは、こうした大衆運動こそが、今の県政を支えていると考えています。

吉田政策調整監「現場は、権力の今の状況をよく見ることが出来る。高江はよそから500名の機動隊が来て、民主主義を、僕らもこれまで味わったことのないようなことをやると。権力構造の今の状況が良く見える感じがする。だから現場は大事。座り込んでそのことは良くわかる」

吉田政策調整監に聞く

吉田政策調整監「捧げてくださいという人々がうちに持ってきているわけです。ありがたいことですよね。これをこう置くでしょ。これ支え合うんですよ。これが支え合うという。風が強いから。皆さんが持ってきたジュースで花を支えている。忘れないということですよね。忘れない」

閉ざされた政府との対話の道を開く。その手腕が注目されます。